20世紀日本人名事典 「佐野文子」の解説 佐野 文子サノ フミコ 明治〜昭和期の廃娼運動家 生年明治26(1893)年 没年昭和53(1978)年 出生地島根県浜田市 学歴〔年〕島根県立高女補修科 経歴明治42年旭川に嫁いでいた姉のもとに移り、上川尋常小学校の教師に。その後、私財をなげうって廃娼運動をおこなっていたピアソン夫人と共に、中島遊廓廃止運動に加わり、44年矯風会旭川支部長となる。大正2年夫・啓次郎の没後、本格的な廃娼運動を展開し、多くの娼妓たちを救済した。昭和17年から東条英機首相(当時)秘書。戦後は、旭川で婦人相談員、保護司、家裁家事調停委員などを務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐野文子」の解説 佐野文子 さの-ふみこ 1893-1978 明治-昭和時代の社会事業家。明治26年12月生まれ。43年日本キリスト教婦人矯風会旭川支部長となり,廃娼運動につくす。司法保護委員,東条英機の私設秘書などをつとめ,戦後は保護司,家事調停委員。昭和53年9月16日死去。84歳。島根県出身。島根県立高女卒。【格言など】人その友のために命を捨てる,これより大いなる愛はなし(信条) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by