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東条英機 とうじょう ひでき

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美術人名辞典の解説

東条英機

陸軍大将・政治家。東京生。第二・三次近衛文麿内閣の陸相となり、首相に就任後も陸相と内相を兼ね、対米英開戦の最高責任者となる。戦局が劣勢となり、総辞職後、A級戦犯に指名される。昭和23年(1948)歿、64才。

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デジタル大辞泉の解説

とうじょう‐ひでき〔トウデウ‐〕【東条英機】

[1884~1948]軍人・政治家。陸軍大将。東京の生まれ。関東軍参謀長・陸相を経て、昭和16年(1941)首相。内相・陸相を兼任し、太平洋戦争開戦の最高責任者となったが、戦況不利となった同19年総辞職。戦後、極東国際軍事裁判A級戦犯とされ、絞首刑

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百科事典マイペディアの解説

東条英機【とうじょうひでき】

陸軍大将,政治家。東京の生れ。陸大卒。陸軍省整備局初代動員課長として総力戦の準備を推進,のち参謀本部第1課長などを歴任,永田鉄山らとともに統制派中心人物となった。
→関連項目石原莞爾木戸幸一近衛文麿新体制運動綏遠事件戦陣訓大東亜会議東条英機内閣東方会中野正剛若槻礼次郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東条英機 とうじょう-ひでき

1884-1948 大正-昭和時代前期の軍人,政治家。
明治17年12月30日生まれ。東条英教(ひでのり)の長男。関東軍参謀長,陸軍次官をへて,第2次・第3次近衛内閣の陸相となり,対米英開戦を主張。昭和16年首相(陸相・内相兼任)となり,太平洋戦争突入にふみきる。翼賛選挙の実施と統制強化により憲兵政治,東条独裁とよばれる戦時体制をしいたが,戦局の悪化で倒閣運動がおこり,19年総辞職。陸軍大将。敗戦後,極東国際軍事裁判でA級戦犯として死刑判決をうけ,23年12月23日絞首刑。65歳。東京出身。陸軍大学校卒。

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江戸・東京人物辞典の解説

東条英機

1884〜1948(明治17年〜昭和23年)【軍人・政治家】カミソリと言われた頭脳で、戦時下の日本を独裁的に統制。 戦争犯罪人として刑死。昭和期の軍人・政治家。東京都出身。陸軍士官学校(一七期)・陸軍大学校卒。満州事変頃から統制派の有力メンバーとして頭角を現し、アメリカとの開戦を主張。第二・三次近衛内閣では陸相を務め、1941年(昭和16)10月現役陸相のまま組閣し、対米英開戦を決定、日本は太平洋戦争に突入した。国内の戦時動員体制を強化し、参謀総長も併任したが、1944年7月サイパン島陥落を機に総辞職。敗戦後、戦争犯罪人として極東国際軍事裁判でA級戦犯として有罪の判決をうけ絞首刑となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうじょうひでき【東条英機】

1884‐1948(明治17‐昭和23)
陸軍軍人,政治家。陸軍中将英教の子として東京市に生まれ,1905年陸軍士官学校第17期卒業。15年陸軍大学校卒業後スイスドイツに駐在し,陸大教官などを経て28年陸軍省整備局の初代動員課長として総力戦の準備を推進した。ついで参謀本部第1課長,陸軍省軍事調査部長などを歴任し,永田鉄山らとともに統制派の中心人物となった。35年関東軍憲兵隊司令官,36年中将昇進,37年関東軍参謀長,38年陸軍次官,航空総監などを経て,40年第2次,41年第3次近衛文麿両内閣の陸相として日独伊三国同盟締結と対米英開戦を主張した。

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大辞林 第三版の解説

とうじょうひでき【東条英機】

1884~1948) 陸軍軍人・政治家。大将。東京生まれ。関東軍参謀長・陸軍次官などを経て、1940年(昭和15)第二次近衛内閣の陸相となる。翌年首相に就任し、陸相と内相を兼任、対米英開戦の最高責任者となり太平洋戦争を推進した。44年7月、サイパン陥落直後総辞職。戦後 A 級戦犯として絞首刑。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東条英機
とうじょうひでき

[生]1884.12.30. 東京
[没]1948.12.23. 東京
政治家,陸軍軍人。父は陸軍中将東条英教。 1905年陸軍士官学校を卒業。 19~22年スイス,ドイツに駐在。 35~37年関東軍憲兵隊司令官をつとめた。 37~38年関東軍参謀長。 38年に陸軍次官となり,同年末に航空総監兼航空本部長となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東条英機
とうじょうひでき
(1884―1948)

陸軍軍人、政治家。明治17年12月30日、陸軍中将東条英教(ひでのり)の子として東京に生まれる。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。ドイツ大使館付武官、連隊長、旅団長などを務め、1929年(昭和4)永田鉄山(ながたてつざん)らと一夕会(いっせきかい)を結成して革新派の中堅将校として頭角を現した。満蒙(まんもう)の支配を主張し、「満州国」創設後の1935年、関東憲兵司令官となり、1937年には関東軍参謀長となった。盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が起こると、国民政府との妥協に反対し、中央の統制派と結んで日中戦争の推進者となった。1938年板垣征四郎(いたがきせいしろう)陸相のもとで陸軍次官となり、1940年7月第二次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の陸相に就任した。松岡洋右(まつおかようすけ)外相と組んで日独伊三国同盟の締結に努め、日本軍の仏印進駐を容認、対英米戦争の準備を進めた。1941年10月、第三次近衛内閣の陸相当時、米政府が中国、仏印の日本軍を全面撤退させるよう要求すると、陸軍を背景にこれに強硬に反対し、対英米開戦を主張して内閣を倒壊に導いた。10月18日、木戸幸一内大臣らの推挙で内閣を組織し、現役軍人のまま首相、内相、陸相を兼ね、また陸軍大将に昇格した。12月8日、太平洋戦争を開始し、国内の統制を極端に強め、独裁体制を固める一方、「大東亜共栄圏」建設を宣伝し、1943年11月大東亜会議を主催した。戦局が悪化すると、参謀総長も兼ねて軍・政を一手に掌握して局面の打開を図ったが、反東条機運に抗しえず、1944年7月18日辞職した。敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯とされ、昭和23年12月23日、絞首刑に処せられた。[佐々木隆爾]
『佐藤早苗著『東条英機「わが無念」』(河出文庫) ▽保阪正康著『東條英機と天皇の時代』(ちくま文庫) ▽松田十刻著『東条英機――大日本帝国に殉じた男』(PHP文庫)』

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世界大百科事典内の東条英機の言及

【戦陣訓】より

…1941年1月8日,東条英機陸相が全陸軍に通達した督戦のための訓諭。日中戦争の長期化により,中国占領の日本将兵の士気は戦争終結の見込みのないまま低下し軍紀の乱れが顕著になった。…

【大東亜会議】より

太平洋戦争中の1943年(昭和18)東京で開かれた会議。この年2月,日本軍はガダルカナル島より撤退,5月にはアッツ島守備隊が全滅するなど,戦局がいよいよ悪化するなかで,大本営政府連絡会議は,戦争完遂の決意と大東亜共栄圏の確立を内外に声明する会議の開催方針を定め,首相東条英機の東南アジア訪問後の10月はじめ,あらためて日本を中核とする政略態勢,日本に対する戦争協力を強化する必要を認め,同会議の具体的要綱を決定した。こうして11月5,6日の両日,東京で開催されたこの会議には,東条をはじめ中国行政院長汪兆銘,〈満州国〉国務総理張景恵,フィリピン大統領ラウレル,ビルマ大統領バモー,タイ首相代行ワンワイタヤコーン,自由インド仮政府主席S・C・ボースが出席,全会一致をもって大東亜共同宣言を採択した。…

【統制派】より

…皇道派に比べて派閥としての実態は明確でなく,皇道派による派閥人事や,その観念性,および皇道派に連なる急進的な隊付青年将校の行動を統制をみだすものとして反発する反皇道派の中央幕僚層の総称とみなすべきであろう。永田鉄山,東条英機,片倉衷らがその中心と目される。1933年11月,池田純久らの幕僚将校が,急進青年将校の横断的運動をやめさせようと,そのリーダーたちと会見し,ものわかれに終わったのが反皇道派グループ登場の契機とみられる。…

【内閣総理大臣】より

…天皇輔弼(ほひつ)についても,首相は原理上他の国務大臣と平等で,輔弼手続上の優位をもつにすぎないと理解された。これが東条英機内閣期の〈戦時行政職権特例〉(1943公布)等による部分的変更を除き,戦後までの首相権限の正統解釈であった。もっとも明治憲法体制も天皇に能動的統治者の役割を強く期待していたわけではなく,首相が国政統合の最も有力な中心であった。…

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