余部里庄
あまるべのさとのしよう
古代の余戸郷(和名抄)域内に立荘されたと考えられる鹿王院領。現舞鶴市の長浜・余部下・余部上・北吸・和田・下安久の地に比定される。史料により余戸里・余部庄(「蔭涼軒日録」ほか)などとも出る。
鹿王院は足利義満の夢告により、普明国師(春屋妙葩、南禅寺住持)を開山として嵯峨(現京都市右京区)に建立された宝幢寺の開山堂で、康暦元年(一三七九)九月一七日、義満により余部里の地頭・領家職が鹿王院に与えられた(鹿王院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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