日本歴史地名大系 「作手郷」の解説
作手郷
つくでごう
現作手村の地域は、古来作手郷とよばれた。この呼称は中世に起因すると思われるが明らかでない。善福寺縁起(善福寺蔵)によれば、天長元年(八二四)真済が来寺し、聖徳太子作の神像を補修した時に欠逸した手を作ったことから「作手」の名が起こったというが、後世の仮託である。「浪合記」「信濃宮伝」に「作手ノ正行寺」「作手ニ住シ奥平監物トゾ称シケル」などとあって、中世後期には作手の呼称は一般化していたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報