デジタル大辞泉 「保坂誠」の意味・読み・例文・類語 ほさか‐まこと【保坂誠】 [1910~1996]実業家。清しん(中国)の生まれ。昭和25年(1950)後楽園スタヂアムに入社し、同53年社長に就任。同63年には日本初の多目的ドーム球場である東京ドームを建設。日本ボクシングコミッショナーも務めた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「保坂誠」の解説 保坂 誠ホサカ マコト 昭和・平成期の経営者 東京ドーム社長。 生年明治43(1910)年10月28日 没年平成8(1996)年6月14日 出生地旧満州 出身地山梨県 学歴〔年〕慶応義塾大学法学部〔昭和9年〕卒 主な受賞名〔年〕財界経営者賞〔昭和62年〕,スポーツ功労賞(文部省)〔平成3年〕,勲三等旭日中綬章〔平成3年〕 経歴昭和9年満州中央銀行入行。戦後、証券処理調整協議会を経て、25年後楽園スタヂアムに転じる。32年取締役、38年常務、43年専務、45年営業本部長、50年経営計画室長、52年副社長を経て、53年社長に就任。平成2年9月東京ドームに社名変更。人工芝、オーロラビジョンを日本で初めて設けたほか、国内初のドーム球場を建設。他に後楽園不動産、後楽園事業各社長などを兼務。8年殿堂特別表彰。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保坂誠」の解説 保坂誠 ほさか-まこと 1910-1996 昭和後期-平成時代の経営者。明治43年10月28日清(しん)(中国)遼陽生まれ。満州中央銀行をへて,昭和25年後楽園スタヂアム(現東京ドーム)にはいる。32年取締役となり,53年社長。後楽園球場に人工芝や大型ディスプレーを設置。63年には日本初の多目的ドーム球場の東京ドームを建設。日本ボクシングコミッショナーもつとめた。平成8年野球殿堂入り。平成8年6月14日死去。85歳。慶大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「保坂誠」の解説 保坂 誠 (ほさか まこと) 生年月日:1910年10月28日昭和時代;平成時代の経営者。東京ドーム社長1996年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by