保坂郷
ほさかごう
中世の史料に散見する郷名で、穂坂とも記した。遺称地はなく、郷域など判然としないが、近世になると穂坂庄(保坂庄)という茅ヶ岳南麓北山筋一帯をさす地域呼称が登場し、また平安期にみられる穂坂牧との関連も推測されるが未詳。建保五年(一二一七)正月吉日の年紀がある保坂倭文神社(現双葉町諏訪大神社)の棟札銘文(社記)に「願主保坂郷中」とみえ、また元亀二年(一五七一)三月二六日付の同社棟札(社記)によれば、同年の武田信玄による社殿再建では「穂坂本郷」の宮大工弥治郎以下がかかわっていたとされるが、この記載は検討を要する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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