デジタル大辞泉 「春秋」の意味・読み・例文・類語
しゅん‐じゅう〔‐ジウ〕【春秋】
2 年月。また、一年。「幾
3 年齢。とし。「いたずらに
4 《史書の「春秋」から》歴史書。
[補説]書名別項。→春秋
[類語](3)
しゅんじゅう【春秋】[書名]
「春秋時代」の略。
はる‐あき【春秋】
2 年月。歳月。しゅんじゅう。「平穏に
儒教の経典である五経の一つで、魯(ろ)の隠公(いんこう)元年(前722)から哀公(あいこう)14年(前481)に至る、12公、242年間の国家的大事を略記した年代記。『孟子(もうし)』の「滕文公(とうのぶんこう)」下篇(げへん)に、孔子(こうし)が世道衰え、邪説横行するのを憂えて『春秋』をつくったとあることから、この書は、魯国の記録を基にして、孔子が制作したものとされている。『春秋』とよばれるのは、編年体の史書であるので、春秋をもって春夏秋冬の1年を意味したものと思われる。さらに『孟子』には、「晋(しん)の乗(じょう)、楚(そ)の檮杌(とうこつ)、魯の春秋、一なり。」(「離婁(りろう)」下篇)とあり、それぞれの国の史書を、乗(行事を記録するの意)、檮杌(悪事を記録して戒(いまし)めとするの意)、春秋などといっていたことが知られる。『春秋』の経文はわずか1800余条、一万数千字の簡略なものであるが、その制作にあたって孔子は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)的な精神をもって、乱世をただす王法を『春秋』に託したとされている。司馬遷(しばせん)はこのことを『史記』に、「孔子、言の用いられず、道の行われざるを知り、二百四十二年の中を是非(ぜひ)し、以(もっ)て天下の儀表と為(な)す」(太史公自序)といっている。
簡略な『春秋』の経文から、孔子の意図するものを汲(く)み取るため、各種の解釈書がつくられた。『漢書(かんじょ)』の「芸文志(げいもんし)」によると、漢代には左(さ)氏、公羊(くよう)、穀梁(こくりょう)、鄒(すう)氏、夾(きょう)氏の五伝があったが、鄒氏はそれを伝える師がなく、夾氏は書物になっておらず、他の三伝だけがあったことを伝えている。この『左氏伝』(春秋左氏伝)、『公羊伝』、『穀梁伝』を「春秋三伝」といっている。伝とは解釈書という意味である。三伝のうちでは『公羊伝』の成立がもっとも早く、孔子の門人の子夏(しか)の弟子である公羊高(くようこう)がつくり、5世の孫の公羊壽(くようじゅ)が前漢景帝(けいてい)(在位前157~前141)のとき、門人胡母生(こむせい)らと問答して一書としたとされる。『穀梁伝』は魯の穀梁赤(せき)の制作で、荀子(じゅんし)に授けたといわれるが、『公羊伝』の伝文を引用したり、その説を是正したりしているので、『公羊伝』よりあとのものとされている。『左氏伝』は孔子の門人の左丘明(さきゅうめい)の作とされるが、作者や成立年代は明らかでない。鎌田正は「子夏の春秋学に影響された魏(ぎ)の史官左氏某が、紀元前320年前後ころに制作したものではないか」(『左伝の成立と其(そ)の展開』1963)と推考している。
この三伝が春秋学を形成するのであるが、前二者が記録された事実の内在的な意味を哲学的に究明するのに対して、『左氏伝』は史実を歴史的に明らかにしていく方法をとっている。しかし、経文と無関係な記事が多いため、『春秋』とは別個な歴史書ではないかという説もある。また清(しん)の劉逢禄(りゅうほうろく)(1774―1829)は、『左氏伝』には前漢の劉歆(りゅうきん)の竄入(ざんにゅう)した文のあることを指摘して『左氏伝』偽作説の端(たん)を開き、これをめぐる論争が続いた。津田左右吉(そうきち)も『左伝の思想史的研究』を著して、思想史のうえから、『左氏伝』に劉歆一派の偽造にかかるものがあることを論述した。
三伝は漢代においてそれぞれ学官にたてられ、並行して存立していたが、中唐以前においては『左氏伝』が優勢で、唐の啖助(たんじょ)、趙匡(ちょうきょう)らの活躍以後北宋(ほくそう)に至るまでは『公羊伝』や『穀梁伝』が優勢であった。そして当時の学風は、伝(でん)を廃して経(けい)(聖人の述作した書物)に従うことを主張したが、実際には『公羊伝』や『穀梁伝』の筆法によって論じていた。『左氏伝』は晋(しん)の杜預(どよ)(222―284)が『春秋経伝集解(けいでんしっかい)』を著して左氏学を集大成した。唐の孔穎達(くようだつ)が勅命を奉じて『五経正義(せいぎ)』を作成したとき、『春秋正義』は『左氏伝』を正統とし、杜預の注を用いた。その後、徐彦(じょげん)が『春秋公羊伝正義』(注、漢の何休(かきゅう)『春秋公羊伝解詁(かいこ)』)を、楊士勛(ようしくん)が『春秋穀梁伝正義』(注、晋の范寧(はんねい)『春秋穀梁伝集解』)を選し、これらは『十三経注疏(じゅうさんぎょうちゅうそ)』のなかに入れられて広く通行している。『四庫全書(しこぜんしょ)総目提要』の「春秋類敍(るいじょ)」では、『左氏伝』が魯の記録に基づいた史実性を評価し、春秋学の評価の目安をたてているが、他の二伝の哲学的解釈は漢代以後の思想界に大きく影響した。
[安居香山]
『竹内照夫著『春秋』(1942・日本評論社)』▽『竹内照夫訳註『全釈漢文大系4~6 春秋左氏伝 上中下』(1974~75・集英社)』▽『鎌田正著『左伝の成立と其の展開』(1963・大修館書店)』▽『津田左右吉著『左伝の思想史的研究』(1935・平凡社・東洋文庫)』
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中国の古典。周代の魯国に《春秋》と呼ばれる宮廷年代記があった。このうち隠公1年(前722)から哀公14年(前481)にいたる,12公,242年間の部分に対して,孔子が独自の理念と周到な論理をもって添削を施したという。こうして成立した《春秋》は儒家の重要な教科書となり,五経の一つに数えられる。《春秋》には孔子の精神が寓されており,大義名分の書である,との見方を最初に提示したのは孟子である。司馬遷は《春秋》には〈人道浹(あまね)く,王道備わる〉〈万物の散聚,みな春秋に在り〉と評価する。すべての社会事象に妥当する判断の根本原理が内包されているというのである。だが《春秋》は事実の客観的な,しかもいたって簡略な記録にすぎないので,その解説書(伝)が必要とされ,《公羊伝(くようでん)》《穀梁伝》《左氏伝》がつくられた。このうち,《公羊伝》は,漢代のほか,宋代にはその大義名分論と復讐観,清末には夷狄観のゆえに,とくに重んぜられた。
執筆者:日原 利国
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五経の一つ。春秋時代の魯(ろ)の年代記。孔子の整理編集と伝えられる。隠公元年(前722年)から哀公14年(前481年)までの簡単な記録であるが,そのなかにある孔子の言外の批判を探ろうとする解釈(伝)がのちに生じた。公羊伝(くようでん),穀梁伝(こくりょうでん),左氏伝(さしでん)の春秋三伝のうち,公羊伝は最も『春秋』の真意を伝えるとして,漢代に盛行した。これに対し左氏伝は史実を最も多く詳細に伝えるとして,後漢以後に広まった。
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…この間の大部分に周王室は東の成周に存続したので東周時代ともよぶ。また前453年で前後に二分し,前半を春秋時代,後半を戦国時代とよぶ。前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。…
…この名と実の正しい一致の主張には,孔子の当時の〈礼楽〉的貴族領主制の,君臣・父子の身分秩序を乱さず,孝悌道徳の壊敗を許しえぬ立場,敵対する鄧析(とうせき)(前545‐前501)らの法的平等思想を忌避する態度が表明されている。孟子は,新しく編成された《春秋》を孔子の正名(名分)の具現とみて,そこから〈名を正して分を定め,情を求めて実を責める〉(欧陽修)君父制を重視する尊王思想を学びとろうとした。以後,人倫道徳と政治上の視野から〈《春秋》は〈名分〉を道(い)う〉(《荘子》天下篇)と評定された。…
…平生,陋巷の狭い住居に安住し粗食に満足していたという。761年(上元2)ころから年来の《春秋》三伝の批判的研究を整理し始め,770年(大暦5),その業を卒(お)えたという。彼はそれまでの,《春秋》を《公羊(くよう)伝》《穀梁伝》《左氏伝》のいずれかによって解釈するという態度を改め,三伝の解釈を並列的に比較検討し,合理的な解釈が得られないときはみずから独自の解釈を下すという態度をとった。…
…その時代から現代にいたるまで約3000年間の文学の発展を五つの時期に分けて述べよう。
【古代(西周および春秋戦国時代――前11~前3世紀末)】
中国文学の源流は二つある。一つは史官の文学,他は巫(ふ)の文学である。…
…【増田 義郎】
[中国]
殷周時代の甲骨文や金文は,干支(日),月,祀(王の在位年)という紀時法を用いており,それによって記された記録は,年代記の始源を示唆している。年代記の体裁が最もよく整った現存する最古の書物は《春秋》で,魯国12代の治世の年月にしたがって当時の主要な事件を記す。《春秋》は儒家の経典の一つであるが,本来は年中行事のために作られた暦に,その年の重要事件を記入したものといわれる。…
…清代の章学誠は,儒家のいわゆる六経はもともと古代の史官の記録から起こったものだという〈六経皆史〉説を唱え,今日でも高く評価されている。この説によって考えれば,西周中期以後史官の手で作られた記録がさらに春秋末期以後儒家によって方向づけられ六経となったようである。六経のうち《詩経》は祖先の功業をたたえ族人の和合を楽しむ氏族社会の歌謡を源泉とし,《書経》は西周創業期の誥(みことのり)を中心として尭舜から先秦に至る王朝史の体系を構成し,《礼経》(儀礼・礼記・周礼)は西周の氏族儀礼と国制を基準として大同思想に基づく時代観を展開し,《易経》は日常の占筮法から出発して陰陽二元論による宇宙論的運動法則を導き出した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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