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保科正直 ほしな まさなお

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

保科正直 ほしな-まさなお

1542-1601 戦国-織豊時代の武将。
天文11年生まれ。保科正俊の子。信濃(しなの)(長野県)高遠城主。武田氏,のち徳川家康に属す。信濃上田城に真田氏を攻め,天正(てんしょう)18年の小田原攻めにもくわわる。家康が関東に入封したとき,下総(しもうさ)多古(千葉県)1万石にうつる。まもなく長男正光に家督をゆずった。慶長6年9月29日死去。60歳。通称は甚四郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

保科正直

没年:慶長6.9.29(1601.10.24)
生年:天文11(1542)
安土桃山時代の武将。正俊の子。通称甚四郎。越前守,弾正忠。信濃国伊那郡高遠(長野県高遠町)生まれ。初め武田氏に属して三河,遠江の侵攻に加わる。天正10(1582)年3月の武田氏滅亡の際は飯田城にあって守備に当たっていたが,同年6月の本能寺の変ののちは,高遠城により徳川家康に属した。天正18年,家康が豊臣秀吉によって関東に移封されると,それに従って多胡(千葉県)で1万石を領し,まもなく家督を長子正光に譲った。慶長5(1600)年関ケ原の戦で徳川方が勝利すると戦功により高遠に戻り,同地にて没。<参考文献>「保科御事歴」(『信濃史料叢書』2巻)

(笹本正治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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