保科正俊(読み)ほしな まさとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保科正俊」の解説

保科正俊 ほしな-まさとし

1511-1593 戦国-織豊時代武将
永正(えいしょう)8年生まれ。信濃(しなの)(長野県)高遠氏に属していたが,武田信玄の信濃侵略に際して信玄配下となり,高遠城主となる。信濃先方衆騎馬120騎持。槍弾正とよばれた。武田氏滅亡後は徳川家康につかえた。文禄(ぶんろく)2年8月6日死去。83歳。通称は甚四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android