20世紀日本人名事典 「信夫山治貞」の解説 信夫山 治貞シノブヤマ ハルサダ 昭和期の力士(関脇) 生年大正14(1925)年3月21日 没年昭和52(1977)年9月2日 出生地福島県伊達郡保原町 本名本間 栄 経歴小野川部屋から昭和15年5月初土俵、間もなく応召、北朝鮮で終戦、苦労の末帰国、角界に復帰。25年9月場所で新入幕。けがと病気に悩んだが、若乃花、東富士、朝潮ら横綱、大関を倒す双差しの名手として人気を得、20年後半から30年前半に活躍。幕内には通算43場所いたが、小結6場所、関脇連続3場所。“リャンコの信夫”の異名をとった。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞6回、最高位関脇。35年椎間板ヘルニアで引退。年寄竹縄、山響を継いだが、40年秋場所に廃業。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「信夫山治貞」の解説 信夫山治貞 しのぶやま-はるさだ 1925-1977 昭和時代の力士。大正14年3月21日生まれ。小野川部屋に入門し,昭和15年初土俵。応召後,21年に復帰し,25年入幕。もろ差しの名手で「りゃんこの信夫」とよばれ,30年代前半に活躍。最高位は関脇。技能賞6回,殊勲賞1回,敢闘賞1回。35年引退,年寄山響を襲名。昭和52年9月2日死去。52歳。福島県出身。本名は本間栄。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by