信楽街道(読み)しがらきかいどう

日本歴史地名大系 「信楽街道」の解説

信楽街道
しがらきかいどう

田原盆地をほぼ東西に横切って山城・近江国境の裏白うらじろ峠を越え、信楽(現滋賀県甲賀郡信楽町)に抜ける街道。都と東国を結ぶ間道として用いられ、養和元年(一一八一)一一月二一日付禅定寺領四至注進状案(禅定寺文書)の四至を記した所に「南限御方至シカラキ路」とある。平治の乱で都を逃れた信西(藤原通憲)もこの道を東行している(百錬抄、平治物語)

古くは奈良と近江を結ぶ近道である田原道が利用されたが、都が京都に移ると、近江の瀬田せた(現大津市)から禅定寺ぜんじようじ峠を越える田原道を通って田原郷に入り、そこから宇治に出て都へ入る経路が、大回りではあるが東海道の間道として利用された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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