修館跡(読み)しゆうゆうかんあと

日本歴史地名大系 「修館跡」の解説

館跡
しゆうゆうかんあと

[現在地名]中央区赤坂一丁目

修猷館は福岡藩の藩校東学問所の学館名。跡地は現在の明治通平和台へいわだい交差点の北東角にあたる三井海上ビル付近とされる。七代藩主黒田治之・八代藩主治高の遺命に基づき、九代藩主斉隆の代に設けられた。筑藩御年譜集要抄(小田家文書)によると、天明四年(一七八四)二月六日に東学問所(修猷館)が、これに先立つ同月一日には西学問所(甘棠館)が開校している。「尚書」(微子之命)の章句「践修厥猷」、すなわち「厥の猷そのみちおさめ」による修猷館の館名が開学当初から公称されていたかは不詳。「修猷館学規」の安政五年(一八五八)書写本に「筑前東西ニ立シトキ、諸藩学校少シ、修猷館ト字ヲ名付ケリ併徳川ヨリ如何思ルヽヤ憚アリ、故ニ只稽古処ノ唱ニシテ、堂々タル名ヲツケラレヌ」との朱書があるという(修猷館二百年史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android