日本歴史地名大系 「大名町」の解説 大名町だいみようまち 兵庫県:姫路市姫路城下大名町[現在地名]姫路市本町(ほんまち)姫路城南の中曲輪に位置する武家地。桜(さくら)町の南で惣社門の西から車(くるま)門までの東西に長い町筋。大明町(大正八年刊「姫路市史」)・大身町(享保三年「城内守備配置図」姫路市教育委員会蔵)とも書いた。町内の東西の筋は惣社大明神の参道にあたるため大明神筋・大明筋とよんでいたところから、大明町と称するようになったという説や、姫路藩の重臣が居住したので大名町と称したという説がある(前掲姫路市史)。城下町割までの字名からとったという説もある。慶長六年(一六〇一)の町割により中(なか)村と福中(ふくなか)村の一部が中曲輪の区画内に取入れられて町場化した。 大名町だいみようまち 福岡県:福岡市中央区福岡城下大名町[現在地名]中央区大手門(おおてもん)一丁目・赤坂(あかさか)一丁目・大名二丁目福岡城北側の大(おお)堀に面した通りの北側の片側町と、その通りの東に連なる両側町からなる。黒田家一門や中老など高禄の武士が屋敷を構える武家町で、福岡博多近隣古図では片側町は「御堀端」(大名町堀端)と記され、西端に福岡城とを結ぶ下(しも)ノ橋、そこから二六九間半東には上(かみ)ノ橋があり、上ノ橋のたもとの東側に学問所(藩校東学問所修猷館)が置かれていた。両側町は「大名町」と記され、南側西端の隅田主膳(家老、禄高二千石)の屋敷の南には枡形をもつ赤坂門がある。 大名町だいみようちよう 長野県:松本市松本城下大名町[現在地名]松本市大手(おおて)三丁目女鳥羽(めとば)川に架かる大手橋(現千歳(せんざい)橋)を北に渡ると大手門があり、この門から二の丸の堀に至る通りが大名町とよばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by