修猷館(読み)しゅうゆうかん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

修猷館
しゅうゆうかん

江戸時代の福岡藩藩校。藩主黒田斉隆が儒者竹田定良亀井道載に命じて設立させた学問所で,天明3 (1783) 年に設立。竹田が東学問稽古所 (略して東学,のち修猷館) を,亀井が西学問稽古所 (略して西学,甘棠館) を創設し,それぞれ朱子学徂徠学を教えた。寛政 10 (98) 年西学が火災にあったのを機会に合併され,以来藩学の中心となり,11歳以上の士族の子弟 (祠官,医生を志す者は特に平民の子も入所を許した) の入所を義務づけ,武芸をはじめ漢学和学,のちには洋学をも教えた。明治4 (1871) 年廃藩置県により藩校は廃絶されたが,その名は 1885年修猷館中学校 (現在の修猷館高等学校) として引継がれ,今日にいたっている。

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百科事典マイペディアの解説

修猷館【しゅうゆうかん】

1783年設立の福岡藩の藩校。初め修猷館は朱子学を講ずる東学とされ,ほかに徂徠学を講ずる西学(甘棠(かんとう)館)があったが,1798年両者を合して発展。のちには漢学・和学のほか洋学も加えた。祠官・医生を志すものは庶民の子弟も入学を許可。1871年閉鎖。

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大辞林 第三版の解説

しゅうゆうかん【修猷館】

福岡藩の藩校。1784年創立。1870年(明治3)廃校。校名は県立中学から新制高校へと受け継がれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

修猷館
しゅうゆうかん

筑前(ちくぜん)福岡藩黒田氏の藩学。1784年(天明4)、前年の藩命により士風刷新を目ざし、福岡城の正門外に設立。貝原益軒(えきけん)の学統を継ぐ竹田定良とその子孫門弟が朱子学を講じ、東学問稽古(けいこ)所・修猷館と称した。同時に開学した徂徠(そらい)学派の亀井魯(ろ)(南冥(なんめい))の西学問稽古所・甘棠館(かんとうかん)を、98年(寛政10)に併合し、学生200人が常時出席していた。藩士の11歳以上の子弟はかならず学ぶべきものとされ、漢学、和学を授け、藩費をもって経営された。春秋両度、藩主が臨席して、学生の経書会読が行われた。庶民の入学は許されなかった。維新後、1870年(明治3)洋学を加えるなどのことがあったが、同年中にすべて廃された。名称は、学制以降の県立中学校(現高等学校)に残る。[木槻哲夫]
『文部省編・刊『日本教育史資料 3 巻8』(1889) ▽笠井助治著『近世藩校の綜合的研究』(1960・吉川弘文館) ▽石川謙著『日本学校史の研究』(1960・小学館) ▽井上義巳著『福岡県の教育史』(『都道府県教育史』所収・1984・思文閣出版)』

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