改訂新版 世界大百科事典 「俱利伽羅峠の戦」の意味・わかりやすい解説
俱利伽羅峠の戦 (くりからとうげのたたかい)
〈砺波山(となみやま)の戦〉ともいう。1183年(寿永2)5月,越中・加賀国境の砺波山俱利伽羅峠で,木曾義仲が平維盛の軍を破った戦闘。80年(治承4)9月信濃に挙兵した義仲は,信濃,越後を制圧,81年中には越前以東の北陸道の武士を多く指揮下に置いた。82年は全国的に戦局が動かず,京都の平氏,東国の源頼朝,北陸道の義仲と三勢力鼎立の状況を呈したが,明くる年4月,平氏は維盛以下10万の大軍を北陸道に向け,越前,加賀での前哨戦を経て,5月11日俱利伽羅峠で一大決戦のときを迎えた。しかし義仲軍は,いわゆる〈火牛攻め〉の奇策をもって平氏軍を夜襲,覆滅。この勝利の結果,義仲は約2ヵ月後に平氏を西海に追って入京に成功,半年に満たない短期間ではあるが京都を占領し,クーデタをおこして政権を掌握することとなった。
執筆者:杉橋 隆夫
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