日本大百科全書(ニッポニカ) 「俵藤太伝説」の意味・わかりやすい解説
俵藤太伝説
たわらとうたでんせつ
藤原秀郷(ひでさと)に関する伝説。秀郷は平安前期の鎮守府将軍で下野押領使(しもつけおうりょうし)のときに、平貞盛(さだもり)と協力して平将門(まさかど)の乱(935~940)に将門を倒し東国を平定したことで有名。その伝説である三上(みかみ)山の百足(むかで)退治のことは『俵藤太物語』でも知られる。彼が琵琶(びわ)湖の勢多(せた)の唐橋(からはし)を渡る際に、橋下に住む竜神の要請をいれて、三上山(もしくは比良(ひら)山)から襲来する百足を退治した、という伝えである。彼はその功により釣鐘、刀、鎧(よろい)などを贈られたといわれ、また山海の珍味の尽きぬ鍋(なべ)と、織っても尽きぬ絹、食べても尽きぬ米俵(俵の名の由来というが、本来は田原庄(しょう)の庄園名から)なども与えられたという。この伝説は『太平記』巻15にみえ、『俵藤太物語』でさらに発展し、謡曲『百足』にもなっている。しかし、早く粟津冠者(あわつかじゃ)伝説として『古事談』にあり、園城寺(おんじょうじ)の鐘の発祥の伝説にもなっている。彼の武門の功により、のちに彼の後裔(こうえい)を称する者も少なくなかった。
[渡邊昭五]