倉光保(読み)くらみつほ

日本歴史地名大系 「倉光保」の解説

倉光保
くらみつほ

現倉光町付近に比定される。永正期(一五〇四―二一)以後は倉光庄ともみえる。ただし「天文日記」天文五年(一五三六)九月二八日条に倉光保、同年一〇月二日条には倉光庄とみえており、保と庄の間に実態の差異はなかったとみられる。嘉元三年(一三〇五)六月五日、中村なかむら庄雑掌公綱が訴えた地頭の検注妨害に関して、倉光保地頭光顕も参洛を命じられた(「沙弥某請文」讃岐弥谷寺蔵秘密対法集下裏文書)。応永二一年(一四一四)四月一九日、幕府は倉光藤増丸に「倉光」ほかを安堵したが(「足利義持御判御教書」金沢市中文書)、いったん他者の支配に移ったため、長禄三年(一四五九)二月一七日、幕府は倉光若狭守光利に還付している(「足利義政御判御教書案」温故古文抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android