倉光村(読み)くらみつむら

日本歴史地名大系 「倉光村」の解説

倉光村
くらみつむら

[現在地名]福山市駅家えきや町倉光

江良えら村の北、かつて芦田あしだ川が形成した沖積地に立地。村域東部に新涯しんがい新家にいやなどの地名があって、水野氏時代の芦田川付替えまで氾濫原であったことをうかがわせる。中世には石成いわなり庄に含まれ、地頭岡崎氏の一族倉光氏が領知したという(西備名区)。元和五年(一六一九)の備後国知行帳によれば村高二一四石余、元禄一三年(一七〇〇)の備前検地高は四三七石余、「福山志料」によれば反別四〇町余、うち畠九町余、戸数八三・人数三六九、牛二五。


倉光村
くらみつむら

[現在地名]松任市倉光町・倉光西くらみつにし二丁目

松任町の南に位置し、東は三浦みうら村。中村なかむら用水の分流西にし川が貫流する。中世は倉光保が成立。天正一一年(一五八三)四月日の羽柴秀吉禁制(森田文書)に「くらみつ」とみえ、慶長一二年(一六〇七)六月の中村用水普請人夫ニ付達書(松任町史)に「くらみつ村」とある。正保郷帳では高一千二六〇石余、田方七五町八反余・畑方八町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(新松任町史)では高一千二九一石、免五ツ五歩、小物成はなし。寛文年間の家高数一五・百姓数三五(高免付給人帳)。「皇国地誌」によると家数六〇・人数二八五、ウリ、ナスなどの野菜を多く産出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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