傅恒(読み)ふこう(その他表記)Fu heng; Fu-hêng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「傅恒」の意味・わかりやすい解説

傅恒
ふこう
Fu heng; Fu-hêng

[生]?
[没]乾隆35(1770)
中国,清朝中期の武将。字は春和。諡は文忠。フチヤ (富察) 氏出身の 鑲黄旗満州旗人。乾隆帝の孝賢純皇后の弟。祖父は康煕初期の高名な政治家の米思翰。侍衛,戸部侍郎,軍機処行走を歴任して乾隆 12 (1747) 年に戸部尚書となる。翌年,金川の乱の平定に訥親に代って従事,同 33年には参賛大臣舒赫徳とともにビルマ征討に従事したが,遠征軍の損害も多く,同 34年末には傅恒自身も病気になり北京に召還され,阿桂がそれに代った。傅恒はみずからビルマ征討の失敗の責任を取り罪を請うたが,乾隆帝は罪とせず,そのまま傅恒は病没した。フカンガ (福康安)は彼の子供である。

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