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乾隆帝

美術人名辞典の解説

乾隆帝

清代の六代皇帝。雍正帝の第四子。名は弘暦。学術を奨励し、学者を動員して『四庫全書』をはじめ数多くの欽定書を編纂した。また書画の蒐集にも関心を示し、内府に史上最大の蒐集を完成した。詩文に堪能で、多くの詩文集を残している。また書・絵も能くした。嘉慶4年(1799)歿、89才。

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デジタル大辞泉の解説

けんりゅう‐てい【乾隆帝】

[1711~1799]中国、の第6代皇帝。名は弘暦。廟号(びょうごう)は高宗雍正(ようせい)帝の第4子。在位1735~1795。康熙(こうき)帝・雍正帝に続く清朝最盛期外征を行い、西域を国土化したほか、チベットにまで帝国の版図を広げた。また、学術を奨励し、「明史」「四庫全書」など多くの欽定書を編纂(へんさん)させた。

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百科事典マイペディアの解説

乾隆帝【けんりゅうてい】

中国,清の第6代皇帝(在位1735年―1795年)。廟号は高宗,諡(おくりな)は純皇帝。雍正帝の第4子。康煕・雍正と続いた清朝の最盛期に即位。外征に意を用い,西・南部を内地化しようとし,貴州,雲南に出兵,ジュンガル部,回部の平定を完成し,チベットを支配下に置き,中国史上最大の版図を得た(十全の治)。
→関連項目禁書四庫全書総目提要新疆清俗紀聞中華人民共和国熱河離宮マカートニー満漢全席

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世界大百科事典 第2版の解説

けんりゅうてい【乾隆帝 Qián lóng dì】

1711‐99
中国,清朝第6代皇帝。在位1735‐95年。名は弘暦。廟号は高宗。雍正帝の第4子。1735年に即位してより,全盛期の清朝に60年間君臨し,退位後の4年間も太上皇帝として訓政を行った。当初,雍正帝の厳格な政治の弊害を矯(た)めようとしたが,諸事廃弛する結果となり,以後その政治はかえって過酷に傾いた。しかし,イギリスやヨーロッパ諸国との茶・絹貿易により大量の銀が流入し,未曾有の好景気がもたらされるという恵まれた経済条件は,華麗な宮廷生活と大がかりな軍事行動を可能にした。

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大辞林 第三版の解説

けんりゅうてい【乾隆帝】

1711~1799) 中国、清しんの第六代皇帝(在位1735~1795)。諱いみなは弘暦。廟号びようごうは高宗。学術を奨励し「四庫全書」などを編纂させる一方で禁書・文字の獄を強化した。ジュンガル・台湾・インドシナなどに遠征。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

乾隆帝
けんりゅうてい
Qian-long-di; Ch`ien-lung-ti

[生]康煕50(1711).8.13. 北京
[没]嘉慶4(1799).1.3. 北京
中国,清朝の第6代皇帝 (在位 1735~96) 。名は弘暦。また信天主人,古希天子,十全老人などと自称。諡は純皇帝。廟号は高宗。年号は乾隆。雍正帝の第4子で,生母は清初の功臣エイドゥの曾孫女ニオフル (鈕 祜禄) 氏。幼少より祖父の康煕帝に愛され,25歳で皇太子密建法により即位。祖父の在位期間をこえることをはばかり,60年間帝位にあったのちに退位して太上皇帝 (上皇) となった。上皇時代も事実上の権力者であり,実質的な在位期間は中国歴代皇帝で最も長い。帝は康煕・雍正帝時代の財政的蓄積と確立された皇帝独裁権を継承し,当時の商品生産の発展と相まって文化的にも爛熟した「康煕,乾隆の盛治」と称される清朝の最盛期を現出した。治世の初期には軍機処を軸として皇帝権の伸長に努め,朋党,皇族の結党を禁じ,満州人と漢人の反目を防ぐなど内治に重点をおいた。中期には十全の武功を誇った 10回の対外遠征と平定戦争を展開し,この間に清朝の版図は中国歴代王朝のうちで最大のものとなり,同時に現在の中国領土の基礎が形成された。この多くの外征と各地への巡行,さらに天壇,紫金城,円明園などの新改築などのため財政は疲弊し,加えて旗人の生活苦,寵愛した和しん (わしん) の専権などがあり,末期には各地に反乱が発生し,衰運のうちに嘉慶帝に譲位した。学問では考証学の発達を背景に『四庫全書』『明史』の編纂が行なわれイエズス会宣教師によりヨーロッパの学問,技術が伝えられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

乾隆帝
けんりゅうてい
(1711―1799)

中国、清(しん)朝第6代の皇帝(在位1735~95)。名は弘暦(こうれき)。廟号(びょうごう)は高宗。年号によって乾隆帝という。康煕(こうき)・乾隆と並称される清朝全盛期の頂点にたった。雍正帝(ようせいてい)の第4子。祖父の康煕帝に愛され宮中で養育され、次の皇帝を予定されていた。1735年8月、雍正帝が死ぬと帝位につき、乾隆銭の鋳造を始めたが、中国の習慣で翌年を乾隆元年とした。すでに清朝が北京(ペキン)へ入ってから90年、満洲族の征服王朝に対する中国人の違和感も薄らぎ、安定は豊熟を、活況は充実を約束していた。康煕・乾隆期の活力は百数十年前の明(みん)代の嘉靖(かせい)・万暦(ばんれき)の再生だった。新しい産業の刺激や新しい技術の開発によるものでなく、発酵熱のような民力の高まりであった。
 征服王朝はこれを背景に領土拡張に熱心で、乾隆帝は初め祖父の寛容と父の厳格の中道をいくといったが、征服意欲は3代共通していた。乾隆帝は晩年、自分が辺境に10回出兵して大功をあげたことを誇り十全詩を詠じ、自ら「十全老人」と号したのも、中国人王朝の果たしえなかった事業を成し遂げたという自負であったろう。彼の遠征はジュンガル、グルカ、金川(きんせん)へ2回ずつ行い、回部、台湾、ビルマ(現ミャンマー)、ベトナムと、周辺地域を領土化したり、宗主国となしたりした。北西部で頑強だったジュンガルを壊滅させ、天山南・北路を確保し、ネパールのグルカ人を降してチベット支配を安定させ、ビルマ、ベトナムを朝貢国とし、タイやラオスまで朝貢させた。中国史上空前の大領土を支えた社会の活力は商品流通の拡大と市場組織の整備とから生まれたようである。これはまた銀の増産と海外からの大量流入が潤滑油となって商品移動とその生産を増加させ、軍事費を賄うことになった。乾隆帝はその60年の治世の間に南巡6回、西巡5回、東巡4回と全国巡幸を繰り返して太平を誇示し、また各省輪番でその正賦を全免すること4回、そのほかたびたび税の減免を行って専制皇帝の善政意欲を満足させた。前代の万暦の繁栄が、明朝は万暦で滅んだといわれたように奢侈(しゃし)で食いつぶされてしまったのに対し、このようなブレーキが清朝をなお1世紀余り存続させた。
 帝は、祖父と父が熱心だった編集事業の締めくくりとして『四庫全書』を完成させた。当時収集できる重要な書物を網羅し、多くの学者を動員して厳密な校訂を加え、経、史、子、集の四部(しぶ)に分けて全国7か所に収蔵させた。賞賛に囲まれた時代の安定も腐敗の種子が汚職から芽生えていた。八旗漢軍出身の李侍堯(りじぎょう)は雲貴総督となって収賄で弾劾されたが帝の特赦で助けられ、なお高官を続け、八旗満州出身の和(わしん)は軍機大臣となり帝の寵愛(ちょうあい)を頼んで私欲の限りを尽くし、積んだ私財は国家収入の十数年分に達したという。帝は在位60年で祖父康煕帝の在位を越えるのをはばかって嘉慶(かけい)帝に譲位。太上皇帝として訓政3年、宮廷に上皇派と皇帝派が対立したが、すでに清朝衰退の転機となった白蓮教(びゃくれんきょう)の乱が起こり始めていた。裕(ゆう)陵に葬られた。[増井経夫]
『後藤末雄著『乾隆帝伝』(1942・生活社)』

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367日誕生日大事典の解説

乾隆帝 (けんりゅうてい)

生年月日:1711年8月13日
中国,清朝の第6代皇帝(在位1735〜96)
1799年没

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世界大百科事典内の乾隆帝の言及

【金石学】より

… 元・明時代,金石文の研究は一時下火となったが,清代,考証学の興隆とともに再び活発化した。1755年(乾隆20),乾隆帝は徽宗にならって図録集《西清古鑑》40巻を勅撰して気運を盛り上げ,1804年(嘉慶9),阮元(げんげん)が薛尚功を継承して《積古斎鐘鼎彝器款識》10巻を刊行した。この書は,こののち器形からひとまず離れ銘文だけを研究する清朝金文学,文字学に大きな影響を与えた。…

【四庫全書】より

…中国最大の叢書。清朝の乾隆帝が,入手できる限りの書籍を集め,主要な3457部を一定の書式に従って筆写させ,自己の蔵書としたもの。経・史・子・集の四部に分類されて保管されたので四庫の名がある。…

【清】より

…ついで83年には,長年台湾に拠って抵抗をつづけていた鄭氏一族(鄭成功)も下り,ここに清朝の支配体制の基礎が確立したのである。これより清朝は,聖祖康熙帝,世宗雍正帝,高宗乾隆帝の3代にわたり,18世紀末まで最盛期を迎える。清朝は満州族の征服国家であるから,一面では八旗制度のように満州族特有の制度をもち,その維持につとめたが,他面明朝の制度を大幅に継承する二重体制の国家であった。…

※「乾隆帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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