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傍示本村(読み)ほうじもとむら

日本歴史地名大系 「傍示本村」の解説

傍示本村
ほうじもとむら

[現在地名]東郷町春木はるき

駿河街道(挙母ころも街道、現国道一五三号)の南にあり、北は和合わごう諸輪もろわの両村、西は部田へた村、東は境川を隔てて一色いしき(現西加茂郡三好町)などに隣接する。名古屋城下から東南に四里、広さは東西二一町・南北七町、伊瀬木いせき(現春木川)が東南に流れて境川に注ぎ、それらの流域水田が開かれ集落も形成された(徇行記、天保村絵図)。村名は傍尓本とも書き、その起源は明らかでないが、春日かすが社の棟札などにより応永(一三九四―一四二八)頃と思われる。

近世には尾張藩鳴海なるみ代官所の支配に属し、寛文一一年(一六七一)の家数三七、人数三二〇(寛文覚書)。概高は七三一石余、新田高・山高を加えて七八〇石余のうちおよそ七〇〇石が藩士一七名の給知として細分されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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