東郷町(読み)とうごうちよう

日本歴史地名大系 「東郷町」の解説

東郷町
とうごうちよう

面積:四七・〇七平方キロ

県のほぼ中央、旧伯耆国の東端に位置する。北はとまり村・羽合はわい町、東は気高けたか青谷あおや町、南は三朝みささ町、西は倉吉市。JR山陰本線が通り、松崎まつざき駅がある。北西部の羽合町との境には東郷池が広がり、泊村との境には御冠みかんむり山、青谷町境には鉢伏はちぶせ山・飯盛いいもり(通称大峯)、倉吉市との境には大平おおひら山、南部には羽衣石うえし山を中心とした山地がある。町内における考古遺跡は縄文時代までさかのぼるが、遺跡は数ヵ所しか知られておらず出土遺物の量も多くない。弥生時代の遺跡も少なく、東郷池東岸の丘陵地帯に数ヵ所の遺跡が知られているにすぎないが、類例の少ない家屋形土器や、北福きたふくからは小銅鐸が出土するなど注目される遺物が検出されている。古墳時代に入ると、鳥取県を代表する大型の前方後円墳である宮内狐塚みやうちきつねづか古墳と北山きたやま古墳が相次いで造営される。ともに前期古墳で、北山古墳は山陰最大の規模を誇る。大型前方後円墳以外の古墳は、町内に約七〇〇基分布することが確認されており、その多くは後期古墳であるが、なかには古い形式の横穴式石室を主体とする片平かたひら四号墳などが含まれ興味深い。

東郷町
とうごうちよう

面積:二一八・九七平方キロ

東臼杵郡の南東部にあり、東は日向市、南は尾鈴おすず(一四〇五・二メートル)を隔てて児湯こゆ都農つの町・木城きじよう町、西は南郷なんごう村・西郷さいごう村、北は北郷きたごう村・門川かどがわ町と接する。町の北部を南東流する耳川と北東流する支流坪谷つぼや川との合流付近に平野が形成され、町の中心部となっている。川沿いの平野部以外は山に囲まれ、西林せいりん(七八六・一メートル)くま(六二一・九メートル)たち(三五四メートル)などがある。主要道路には耳川に沿って走る国道三二七号と坪谷川に沿って走る国道四四六号がある。下三しもさんヶには縄文時代晩期から弥生時代にかけての土器・石器が出土した下水流しもづる遺跡があり、山陰やまげには縄文後期・弥生時代の竪穴住居跡がみられる樋田といだ遺跡がある。昭和一〇年(一九三五)に県指定史跡となった東郷とうごう村古墳では円墳三基が確認されている。中世は伊東氏の支配下にあり、永禄一一年(一五六八)伊東義祐支配の城のなかに山陰城と坪谷城があり、米良氏が居城した。天正六年(一五七八)の大友氏と島津氏の高城・耳川合戦では当地も戦乱に巻込まれ、島津氏の支配下に組込まれた。

東郷町
とうごうちよう

面積:八〇・一五平方キロ

薩摩郡の北西部に位置。東西に走る紫尾しび山系から南北方向に延びる小山脈に挟まれて南北に細長い。東は宮之城みやのじよう町、西は川内せんだい市、南は川内川を隔て上流から樋脇ひわき町と川内市、北は紫尾山系の尾根を境に東から出水いずみ高尾野たかおの町・野田のだ町および阿久根市。山岳・丘陵地帯が多く、広大な森林・原野は町域の八割近くを占める。町域南端部を東西に国道二六七号が通る。平成四年(一九九二)県教育委員会が埋蔵文化財の分布調査を実施した結果、四八ヵ所の遺跡が知られる。大谷おおたに遺跡や小田おだ小田原おだわら遺跡などで細石核や細石刃などが出土し、旧石器時代からの遺跡が存在することが判明している。縄文時代は早期の遺跡から存在しているが、晩期を中心とした川原かわはら遺跡は発掘調査の結果大遺跡であることが判明した。

東郷町
とうごうまち

[現在地名]福井市東郷二ヶとうごうにか町・上東郷かみとうごう

ほぼ西流して山地から平野に流れ出る足羽川の南側にある。福井城下と一乗谷を結ぶ東郷街道に沿って発達した町で、中世の東郷庄に含まれる。南方に槙山まきやま城跡があり、朝倉氏時代より慶長五年(一六〇〇)の廃城まで当町はその城下町として発達した。天正二年(一五七四)正月の織田信長朱印状(橘家文書)に「唐人之座軽物座者三ケ庄其外一乗・三国・端郷可有之事」とあるが、この「端郷」は東郷と考えられ、当時すでにさんしよう・一乗、三国みくに(現坂井郡三国町)と並ぶ町場を形成していたことが知られる。東西に走る街道筋を町屋とすれば、その東南側のしろ山北麓一帯には武家屋敷があったと思われ、東の小路しようじ地籍に蔵屋敷くらやしきの字名が、また町屋北側の同地籍にも惣堀そうぼりの字名が残る。

東郷町
とうごうちよう

面積:一七・七九平方キロ

郡の南部を占め、北は日進につしん町、西は名古屋市緑区、南は豊明市、東は境川を隔てて西加茂郡三好みよし町に隣接する。標高一〇〇メートル内外の丘陵群とその間に開かれた平野からなり、丘陵地には古代から中世にかけての古窯跡が多く、黒笹くろざさ第七号窯はじめ三五ヵ所に及び、須恵器や瓷器などを産した。それらは東郷町郷土資料館などに保存されている。中世以後は純農村として穀物や野菜を産し、また養蚕や綿作なども行われ、特産物に白土(磨砂)があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東郷町」の意味・わかりやすい解説

東郷〔町〕
とうごう

愛知県中部,名古屋市東方の尾張丘陵にある町。 1970年町制。町名は尾張の最東部にあることに由来する。長く農村であったが,65年以降,愛知用水による上水道の普及で宅地化を進めて人口が急増した。金属,電気機器,機械などの工場も進出している。北端に愛知用水の調整池の愛知池 (東郷ダム) がある。面積 18.03km2。人口 4万3903(2020)。

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