日本歴史地名大系 「備瀬村」の解説 備瀬村びしむら 沖縄県:沖縄島北部本部町備瀬村[現在地名]本部町備瀬(びせ)・石川(いしかわ)・新里(しんざと)本部(もとぶ)半島の北西部に位置し、ビシの村名は備瀬(びせ)崎に広大な干瀬(ヒシ)があり、これにちなんだと思われる。東は具志堅(ぐしちん)村、南は小浜(ふばま)村。現在備瀬の集落は備瀬崎の砂丘上に形成されている。しかし、かつては東方のグスク山付近にあり、のち現在地に移動してきたという。絵図郷村帳に「びし村」とみえ、琉球国高究帳では畑のみで高六七石余。「琉球国由来記」では備瀬村とあり、拝所にアラサケ嶽・根所火神・神アシアゲ(神アサギ)があり、祭祀は謝花ノロの管轄である。道光年間(一八二一―五〇)の前期、当村と小浜村が風害と旱魃で疲弊した際、両村は当村の寄留人で東風平(くちんだ)間切外間(ふかま)村(現東風平町)出身の松高良から銅銭一千四〇〇貫文・麦一石四斗などの恵給を受けている(「球陽」尚王三一年条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by