本部町(読み)もとぶちよう

日本歴史地名大系 「本部町」の解説

本部町
もとぶちよう

面積:五四・二九平方キロ

沖縄島の北部本部もとぶ半島西部に位置する。北と西は東シナ海に面し、西方海上に浮ぶ瀬底せそこ島と水納みんな島の離島を含む。南は名護市、東は今帰仁なきじん村。国道四四九号が名護市方面から海岸線を通って当町浦崎うらさきまで北上し、同所で同五〇五号につながり、今帰仁村方面へ通じている。町の中心地渡久地とぐち満名まんな川の河口に発達、同所には役場や郵便局、銀行や市場などがあり、街区を形成している。一九〇八年(明治四一年)の沖縄県及島嶼町村制施行本部むとうぶ間切は本部もとぶ村となり、それまでの村は字となった。本部村成立時の字は瀬底・崎本部さきもとぶ健堅けんけん辺名地へなち並里なみざと伊野波いのは伊豆味いずみ渡久地浜元はまもと・浦崎・謝花じやはな具志堅ぐしけん備瀬びせの一三ヵ字であった。四〇年(昭和一五年)に町制を施行。翌四一年に備瀬と謝花の一部で石川いしかわ、浦崎と浜元の一部で山川やまがわ、謝花と浦崎の一部で豊原とよはら、謝花と具志堅の一部で北里きたざと、具志堅から新里しんざとが分字し、四四年には具志堅から嘉津宇かつう、辺名地から谷茶たんちやが分字して二〇ヵ字となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本部町」の意味・わかりやすい解説

本部〔町〕
もとぶ

沖縄県沖縄島北西部,本部半島の西部を占める町。瀬底島,水納島(みんなしま)を含む。1940年町制。1947年分離した上本部村を 1971年再編入。町名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名による。南部には古生代石灰岩からなる八重岳(453m),嘉津宇岳(452m)などの山があり,隣接する今帰仁村西部の乙羽岳(275m)との間に小平地が点在する。北西部一帯は大半が隆起サンゴ礁からなる。主産業はキクサトウキビパイナップル,柑橘類の栽培と養豚。西岸にある渡久地港ではカツオなどの水揚げが多く,離島と結ぶ商港としての役割も大きい。北西部の備瀬崎西岸は 1975年,国際海洋博覧会の主会場となったところで,その跡地国営沖縄記念公園となっている。西海岸の崎本部に日本で唯一の塩分の多い塩川(国の天然記念物)がある。国道449号線が通る。面積 54.36km2。人口 1万2530(2020)。

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