元木網(読み)もとのもくあみ

精選版 日本国語大辞典 「元木網」の意味・読み・例文・類語

もとのもくあみ【元木網】

  1. 江戸後期の狂歌師。本姓金子のち渡辺。通称大野屋喜三郎。別号網破損針金。湯屋を業とした。唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)らの狂歌会に加わり、江戸狂歌形成期に中心的に活躍。妻も狂歌師で智恵内子(ちえのないし)。著「言葉のもとすえ」「あづさ弓」「浜のきさご」「玉のきづ」など。享保九~文化八年(一七二四‐一八一一

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改訂新版 世界大百科事典 「元木網」の意味・わかりやすい解説

元木網 (もとのもくあみ)
生没年:1724-1811(享保9-文化8)

江戸後期の狂歌師。元杢網とも書く。本名渡辺正雄。通称は大野屋喜三郎。江戸京橋北紺屋町で湯屋業を営む。のち西久保神谷町に移り,晩年は剃髪して向島水神の森に閑居し珠阿弥と称した。内山賀邸門下の天明狂歌古老で,落栗連(おちぐりれん)を率いて活躍。妻は智恵内子(ちえのないし)。編著《浜のきさご》《新古今狂歌集》。〈我が年もほどときすぎぬさらばとててつぺんかけて剃りこぼつなり〉(《万載狂歌集》)。
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朝日日本歴史人物事典 「元木網」の解説

元木網

没年:文化8.6.28(1811.8.16)
生年:享保9(1724)
江戸時代の狂歌作者。姓は金子氏,通称は喜三郎,初号は網破損針金。晩年は遊行上人に従って珠阿弥と号した。壮年のころ,江戸に出て,京橋北紺屋町で湯屋を営みながら国文,和歌を学び,同好のすめ(狂名智恵内子)と結婚。明和7(1770)年唐衣橘洲宅での狂歌合に参加して以来狂歌に親しんだ。天明1(1781)年に剃髪隠居して芝西久保土器町に落栗庵を構え,無報酬で狂歌指導に専念,数寄屋連をはじめ門人が多く,「江戸中はんぶんは西の久保の門人だ」(『狂歌師細見』)といわれ,唐衣橘洲,四方赤良(大田南畝)とならぶ狂歌壇の中心的存在となった。寛政6(1794)年には,古人から当代の門人までの狂歌を収めた『新古今狂歌集』を刊行した。

(園田豊)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「元木網」の解説

元木網 もとの-もくあみ

1724-1811 江戸時代中期の狂歌師。
享保(きょうほう)9年生まれ。江戸で湯屋をいとなむ。落栗連をひきい,唐衣橘洲(からころも-きっしゅう),大田南畝(なんぽ)らとともに天明期狂歌の中心となった。妻は智恵内子(ちえの-ないし)。文化8年6月28日死去。88歳。武蔵(むさし)比企郡(埼玉県)出身。姓は金子,のち渡辺。通称は大野屋喜三郎。別号に落栗庵など。編著に「新古今狂歌集」など。

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