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唐衣橘洲 からころも きっしゅう

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美術人名辞典の解説

唐衣橘洲

狂歌師。本名小島源之助、別号に橘実副・酔竹庵等。江戸生。内山椿軒に和歌を学び狂歌を好む。大田蜀山人朱楽菅江と共に天明狂歌の三大家と称された。著書に『狂歌若菜集』『狂歌初心抄』等がある。享和2年(1802)歿、60才。

唐衣橘洲

江戸後期の狂歌師。通称は小島源之助、名は泰従、字は温之、のちに謹之と改める。号は酔竹庵・無碍館。田安家の臣。初め内山椿軒に詩を学び、また和歌を詠んだが、のちに四方赤良と共に狂歌を中興した。享和2年(1802)歿、60才。

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デジタル大辞泉の解説

からごろも‐きっしゅう〔‐キツシウ〕【唐衣橘洲】

[1743~1802]江戸中期の狂歌師。江戸の人。本名、小島源之助。号、酔竹庵。田安家の臣。四方赤良(よものあから)(大田南畝(おおたなんぽ))・朱楽菅江(あけらかんこう)と並んで、天明狂歌壇の中心的人物。著「狂歌若葉集」「酔竹集」など。

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百科事典マイペディアの解説

唐衣橘洲【からごろもきっしゅう】

江戸中・後期の狂歌師。小島源之助。別号酔竹庵。田安家の臣。内山賀邸の門下。江戸天明狂歌の祖で,作風は古典的な風趣がある。その社中を酔竹側と称する。大田南畝朱楽菅江とともに天明三大家の一人。
→関連項目平秩東作

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

唐衣橘洲 からころも-きっしゅう

1744*-1802 江戸時代中期-後期の狂歌師。
寛保(かんぽう)3年12月4日生まれ。幕臣。田安家につかえた。明和6年(1769)大田南畝(なんぽ),平秩(へずつ)東作らと狂歌会をひらいて以来,天明狂歌壇の中心人物ひとりとして活躍。端正で地味な作風を特徴とした。享和2年7月18日死去。60歳。江戸出身。姓は小島。名は恭従,謙之。字(あざな)は温之。通称は源之助。別号に酔竹庵。家集に「狂歌酔竹集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

唐衣橘洲

没年:享和2.7.18(1802.8.15)
生年:寛保3.12.4(1744.1.18)
江戸時代の狂歌作者。小島氏。通称は源之助,名は恭従,のちに謙之,字は温之,別号は酔竹園。初名は橘 実副といった。幕臣で,江戸四谷忍原横丁に住み,内山椿軒に和漢の学を,萩原宗固に和歌を学んだ。20歳のころより狂歌を好み,暁月坊の高古,細川幽斎の温雅な歌風を慕ったという。「臨期変約恋」と題して「今さらに雲の下帯ひきしめて月のさはりの空ごとぞうき」と詠み,椿軒から激賞されたりもした。明和6(1769)年ごろに江戸で初めての狂歌の会を開き,その席には四方赤良(大田南畝),大屋裏住,平秩東作らが集まった。翌明和7年には椿軒,宗固を判者として『明和十五番狂歌合』を催した。天明3(1783)年1月には『狂歌若葉集』を刊行,同年刊の四方赤良選『万載狂歌集』には部立てなどの趣向の点でやや劣るが,おおらかな橘洲らしい選集となっている。天明7年に赤良が狂詠をやめたのちも,寛政2(1790)年に『狂歌初心抄』を刊行するなど,江戸狂歌壇の長老のひとりとして晩年まで活動を続けた。

(園田豊)

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世界大百科事典 第2版の解説

からごろもきっしゅう【唐衣橘洲】

1743‐1802(寛保3‐享和2)
江戸後期の狂歌師。本名小島源之助,初号橘実副,別号酔竹庵。徳川田安家の臣。江戸四谷忍原横町住。牛込加賀町の内山賀邸の門に学ぶ。その師の影響もあって,明和末年四方赤良(よものあから),平秩東作(へずつとうさく)らと自宅に狂歌会を催し,天明狂歌流行の端緒を作った。赤良,朱楽菅江(あけらかんこう)とともに天明狂歌の三大家といわれた。1783年(天明3)《狂歌若葉集》刊,社中を酔竹側(すいちくがわ)と称し,温雅な作風を主張したが,奇知奔放な赤良に圧倒された。

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大辞林 第三版の解説

からごろもきっしゅう【唐衣橘洲】

1743~1802) 江戸後期の狂歌師。本名、小島源之助。号、酔竹園。江戸の人。幕臣。四方赤良よものあから・朱楽菅江あけらかんこうとともに狂歌三大家の一人。狂歌中興の祖。著「狂歌若葉集」「狂歌酔竹集」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

唐衣橘洲
からごろもきっしゅう

[生]寛保3(1743).12.4. 江戸
[没]享和2(1802).7.18. 江戸
江戸時代中期~後期の狂歌作者。本名,小島謙之。別名,酔竹庵。田安家の臣。天明狂歌の創始者。四方赤良 (よものあから) ,朱楽菅江 (あけらかんこう) とともに天明の三大家と称される。内山賀邸 (椿軒) の門に入り,和歌,国学を学ぶかたわら狂歌になじんだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

唐衣橘洲
からころもきっしゅう
(1743―1802)

江戸後期の狂歌人。本名小島恭従、通称源之助、別号酔竹園。幕臣。江戸・四谷忍原横丁(東京都新宿区)に住み、内山賀邸に学ぶかたわら狂歌を好み、1769年(明和6)同門の四方赤良(よものあから)(蜀山人(しょくさんじん))、平秩東作(へつつとうさく)らを誘って自宅に狂歌会を開き、それが江戸狂歌の発生源となった。その後流行は広がり、元(もと)の木網(もくあみ)、朱楽菅江(あけらかんこう)なども加わって1783年(天明3)から数年間、いわゆる天明(てんめい)狂歌の最高潮の時期には、赤良の機知縦横、大胆奔放な作風が江戸市民の人気を集めて主流の座を占め、反対に端正でじみな作風の橘洲は大衆向きでなく、撰集(せんしゅう)『狂歌若葉集』も不評で、取り残された観があった。しかし田沼意次(おきつぐ)失脚後の寛政(かんせい)の改革(1787~93)時には正統派的な狂歌が評価されたので、晩年は中心として重きをなした。享和(きょうわ)2年7月18日、小石川箪笥(たんす)町の家で没した。墓所は浄土寺墓地(東京都品川区戸越)。
 世に立つはくるしかりけり腰屏風(びょうぶ)まがりなりには折かがめども[浜田義一郎]

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世界大百科事典内の唐衣橘洲の言及

【大田南畝】より

…19歳の知的武士の軽快な諧謔が歓迎されて一躍文名をあげた。その2年後,同門の友唐衣橘洲(からごろもきつしゆう)に誘われて狂歌を始め,四方赤良と号したが,これが機知と笑いを求める風潮に合ってしだいに普及した。また1775年(安永4)に《甲駅新話》を書いてからは洒落本作者として活躍し,《変通軽井茶話(へんつうかるいざわ)》ほか数編の佳作をのこすという幅ひろい文学活動によって,安永末年(1780)には文芸界の中心的な存在になっていた。…

【狂歌若葉集】より

天明狂歌初発期の代表的撰集。唐衣橘洲(からごろもきつしゆう)編。自序,置来(内山賀邸)序。…

【天明狂歌】より

…牛込加賀町の内山賀邸は近隣の子弟に国学を教えていたが,堅苦しいいっぽうの先生ではなく,みずからも狂歌を好み門弟にもすすめた。いち早く狂歌に手を染めたのは唐衣橘洲(からごろもきつしゆう)で,1767年(明和4)同門の一人19歳の四方赤良(よものあから)(大田南畝)が狂詩文集《寝惚(ねぼけ)先生文集》を出したのも刺激になったか,1769年橘洲宅で初めての狂歌会を開き,翌年賀邸,萩原宗固を判者として《明和十五番狂歌合》があった。このころの顔ぶれは,賀邸,宗固,橘洲,赤良,飛塵馬蹄,朱楽菅江(あけらかんこう)(以上武士),大根太木(おおねのふとき),平秩東作(へずつとうさく),元木網(もとのもくあみ),智恵内子(ちえのないし),浜辺黒人(はまべのくろひと),大屋裏住(おおやのうらずみ),蛙面坊懸水(あめんぼうけんすい)(以上町人),坡柳(職業不明)など,いずれも趣味教養豊かな武士や町人であった。…

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