朝日日本歴史人物事典 「智恵内子」の解説
智恵内子
生年:延享2(1745)
江戸時代の狂歌作者。狂歌師元木網の妻。名はすめ。明和6(1769)年初期の江戸狂歌壇に木網が参加したころから,同好の内子も狂歌を詠み,天明1(1781)年には隠居して芝西久保土器町に落栗庵を構え,夫婦そろって狂歌の指導をした。鹿都部真顔の数寄屋連をはじめとして門下が多く,「江戸中はんぶんは西の久保の門人だ」(『狂歌師細見』)といわれるほどであった。節松嫁々と共に女性狂歌師を代表する作者であり,その歌は『狂歌若葉集』『万載狂歌集』(ともに1783年)をはじめ,多くの集に入っている。「ふる小袖人のみるめも恥かしやむかししのふのうらの破れを」の歌のように女性らしい詠み口が特徴である。
(園田豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報