湯をみたした浴槽に身体をひたす温湯浴の入浴設備のある建物のこと。奈良時代の寺院の資財帳にはすでに温室院,温室,湯屋などの建物名がみられ,入浴施設としての湯屋であったと考えられる。これらの古代の湯屋の建物は残っていないが,東大寺,法隆寺などには鎌倉時代以後に再建された大湯屋が残っており,東大寺には釜のような形の鉄製の湯槽(ゆぶね)が,法隆寺には厚板を組んで作った木製の湯槽が中央に据えてある。いずれも別の釜で沸かした湯を運ぶか,または木樋などで送り込む取湯式であった。寺院に湯屋があるのは,もともと仏教が沐浴を重視するためであり,僧侶の入浴のためでもあるが,光明皇后が浴室を作り,みずから癩者の身体を洗ったという伝説があるように,衛生施設の乏しい古代,中世にあっては寺院の湯屋に病院としての現実的な役割があり,施浴が布教活動として重視されていたためである。中世末から京都,奈良などの都市に作られる,料金をとって入浴させる公衆浴場である銭湯も,この寺院の湯屋が起源の一つと考えられる。近世には城下町をはじめとする全国各地の都市に銭湯が普及するが,この銭湯の中で蒸風呂(むしぶろ)である風呂屋と区別して,温湯浴のものを湯屋と呼んでいる。近世前半にはこの風呂屋と湯屋の区別ははっきりしていたが,銭湯の設備が蒸風呂主体から温湯浴主体に徐々に変化するにつれ,区別があいまいになり,混用されるようになった。
→銭湯 →風呂
執筆者:玉井 哲雄
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もと寺院には浴堂というものがあり、そのほかに大衆用の潔斎浴場として別に設けた建物があって、これを大湯屋と称した。沐浴(もくよく)には、湯気で身体を蒸す蒸し風呂(ぶろ)形式と、温湯に身体を浸す行水形式があった。寺院では僧尼の潔斎のため、釜(かま)湯を別の湯槽に入れて行水することも早くから行われたが、庶民は長く蒸し風呂形式であった。現代のような浴槽に身体を浸す方式に変わったのは江戸初期からである。この式の浴場を設けて湯銭をとり営業するのが湯屋で、仲間に類するものをつくって営業権擁護を図っていたが、江戸では文化(ぶんか)7年(1810)5月、湯屋組合として公認された。当時は各戸で湯殿(ゆどの)をもつところがきわめて少なく、保健衛生面からも、また市街地発展のためからも湯屋の増加が必要であった。また発生の経緯からいって湯屋と風呂とは別のものであったが、銭湯の発達とともにしだいに混同され、京坂では風呂屋とよんだのに対し、江戸では湯屋とか銭湯と称し、また湯風呂屋とよんだこともある。
[稲垣史生]
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…林業が基幹産業で,面積の大部分が山林である。御嶽山の美濃側の登山基地で,山腹には湯屋(含炭酸食塩重曹泉,14℃),下島(単純炭酸泉,11~15℃),濁河(にごりご)(含土類重曹泉,40~54℃)の各温泉や濁河温泉スキー場,御嶽キャンプ場がある。特別天然記念物のライチョウ,ニホンカモシカが生息する。…
…そのため,経営者だけでなく,風呂のない都市生活者にとっても大きな問題となっている。
[銭湯建築の変遷]
銭湯には蒸気浴と温湯浴の2種類があり,古くは前者が風呂屋で,後者が湯屋とはっきり区別されていた。室町末の上杉家本《洛中洛外図》には風呂屋が描かれている。…
…フロという語は壁に囲まれた部屋を意味するムロ(室)のなまりとの説もある。もう一方の温湯浴の設備,建物に対しては,〈湯屋〉ないし〈湯殿〉が用いられていた。このように〈風呂〉と〈湯〉の言葉はその内容に応じてはっきりと区別され,中世の後半から近世にかけて都市で普及する〈銭湯〉でも,その施設内容により〈風呂屋〉と〈湯屋〉は区別して用いられている。…
※「湯屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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