光守村(読み)みつもりむら

日本歴史地名大系 「光守村」の解説

光守村
みつもりむら

[現在地名]作木村光守

大畠おおばたけ村の南、南流するごうの川の二本の支流に挟まれた台地上に位置する。中世には大畠村、東隣の西野にしの村を併せて山中やまなか村と称した。分村の時期は不明であるが、元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「光盛村」として高八七・二八八石を記す。享保七年(一七二二)写の三次郡覚書(広島大学蔵)にも同じ石高が記され、人数一三八・家数四〇(本百姓三〇・名子一〇)、牛一〇・馬七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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