宇佐八幡宮(読み)うさはちまんぐう

精選版 日本国語大辞典 「宇佐八幡宮」の意味・読み・例文・類語

うさ‐はちまんぐう【宇佐八幡宮】

  1. うさじんぐう(宇佐神宮)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「宇佐八幡宮」の解説

宇佐八幡宮
うさはちまんぐう

[現在地名]錦町大字宇佐

宇佐の高下田こうげたの地に鎮座。祭神は神功皇后応神天皇・玉依姫尊。旧村社。

「神社明細書」は祭神に玉依姫尊がなく、武内宿禰を加え、天仁元年(一一〇八)豊前国宇佐宮(現大分県宇佐市)より勧請して村内字日和に鎮座したが、正和元年(一三一二)当地へ移転。天保一三年(一八四二)焼失し、弘化二年(一八四五)社殿を再建したと記す。「注進案」は棟札略として「正和元壬子年造営、後経二百三十有余年之星霜、而御神体弥陀三尊彩色爛壊、而朱粉不分明矣、願主常国太郎左衛門尉難之、雇仏師法眼奉彩飾之、而今日初三御遷宮有之、乃至伏願天長久国家安全云々(中略)惟時天文十二年卯ノ五月五日 仏師南都受慶法眼 願主恒国太郎左衛門尉 大宮司広民部藤原勝兼 敬白」と記す史料を載せる。


宇佐八幡宮
うさはちまんぐう

[現在地名]福光町 宮脇町

福光町市街地の中央部にある。祭神は誉田別命・息長帯日売命・誉田別比売神。旧郷社。江戸時代には八幡宮と称された(天明五年「福光村絵図」福光町立図書館蔵)。天平勝宝二年(七五〇)まで越中守であった大伴家持の子持豊とその子持定が福光城にいたとき石黒いしぐろ庄の総社として豊前宇佐八幡宮より分霊を勧請し、社殿を建立したのが起源と伝える(三州志)。その後石黒郷の総社として石黒一族の崇敬が厚く、慶長年間(一五九六―一六一五)から加賀藩主の祈願所になったという。正徳二年(一七一二)の礪波郡社号帳(川合家文書)には別当は福光村の山伏金正院、宝暦九年(一七五九)の礪波郡神社改書上帳(河合家文書)などには奉仕者は寛仁かんにん寺とある。


宇佐八幡宮
うさはちまんぐう

[現在地名]芸西村和食 金岡山

土佐湾に沿う街道の北側、低い岡の上に鎮座する。祭神は品田別命。和食わじき氏神で旧郷社。

社伝によれば、建久年間(一一九〇―九九)に豊前の宇佐八幡を勧請したという。天正一七年(一五八九)の下分和食地検帳に「八幡宮社ハ六尺四方ノシフキ、横谷ヘ四間ソキフキ末社一社有」とあり、付近には「宮ノ前村」の村名もみえる。同帳には神田のほかに一二月一日田、ヒタタレテン、アンゴデン、アンゴサウシテン、大鼓テン、土器テン、五月五日テンなど多くの行事田などが記される。


宇佐八幡宮
うさはちまんぐう

[現在地名]佐伯町米沢

大王たいおう山南麓にある。祭神は応神天皇など、旧郷社。延宝三年(一六七五)の備前国々中神社記(池田家文庫)に、佐伯一八ヵ村惣社として社名がみえ、神主金谷左近とある。「吉備温故秘録」などに載る社人の説によると、金谷下司が豊前国宇佐八幡宮を勧請し、船で当国いぬ(現岡山市)に着き、かつて池大納言平頼盛の領地であった当地まで、西大寺さいだいじ(現同上)から筏を組んで神輿を運び社を建てたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

防府市歴史用語集 「宇佐八幡宮」の解説

宇佐八幡宮

 1081年に大分の宇佐八幡宮から神様を分けてもらい、矢筈ヶ岳の中腹につくられたと言われています。その後、1533年に現在の位置にうつっています。都を追い出された室町幕府将軍足利義稙[あしかがよしたね]が京都に攻めこむ時に、宇佐八幡宮で舞[まい]をおどり、それが腰輪踊[こしわおどり]のはじまりだと言われています。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「宇佐八幡宮」の解説

宇佐八幡宮
うさはちまんぐう

大分県宇佐市にある八幡宮。祭神は応神天皇・比売 (ひめ) 神・神功 (じんぐう) 皇后
全国約1万5000の分社総本社東大寺大仏の造立に貢献し,道鏡が皇位を狙った事件では和気清麻呂がこの社で神託をうかがった。のち源氏の氏神とされ,武神として幕府の守護神となった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

事典・日本の観光資源 「宇佐八幡宮」の解説

宇佐八幡宮

(大分県宇佐市)
日本三大八幡指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇佐八幡宮の言及

【宇佐神宮】より

…大分県宇佐市に鎮座。八幡宮,八幡大神宮,宇佐八幡宮,宇佐宮ともいう。旧官幣大社。…

【神仏習合】より

…日本の伝統的な神祇信仰と大陸伝来の仏教が接触混淆した結果,生み出された宗教現象。最も古くは宇佐八幡宮が朝鮮の土俗的な仏教の影響を受け,巫僧集団を形成し,6世紀終りころすでに神宮寺をつくった。8世紀になって気比神宮,若狭比古神社,多度神社などに神宮寺ができたが,東大寺大仏造立にあたり,伊勢神宮に祈願がこめられ,仏法帰依の神託を得,八幡神も大仏造立援助のため上京して東大寺鎮守となった。…

【豊前国】より

…国司の初見は720年(養老4)の宇留男人,国分寺・国分尼寺は現京都郡豊津町と推定されており,豊前各地には白鳳期にさかのぼる寺院跡が多数ある。一宮は現大分県宇佐市の宇佐神宮(宇佐八幡宮)で,同八幡は東大寺大仏建立に大いに貢献し,769年(神護景雲3)の道鏡の宇佐八幡宮神託事件でも大きな役割を果たした。平安末期に平清盛・頼盛兄弟が大宰大弐になると神宮と平氏の結びつきが深まり,1166年(仁安1)宇佐大宮司公通が大宰権少弐に任命され,さらに平氏政権が成立すると大宮司公通が豊前国司に補任された。…

【百合若大臣】より

…幸若(こうわか)舞曲や,その影響を受けた説経,浄瑠璃,歌舞伎など,百合若物と総称される作品の主人公として知られる架空の英雄。蒙古征討からの凱旋の途上,逆臣のため孤島に置き去りにされ,苦難の末に帰朝して復讐を遂げるというのが基本的な筋である。一連の百合若物では,技巧的で複雑な趣向が付加されながら改作が重ねられ,読み物として草子化されてもいる。幸若舞曲《百合若大臣》では,嵯峨帝のとき,左大臣公満が長谷寺,岡寺に祈誓して授かった観音の申し子であり,その英雄的ふるまいも神仏の加護に負うところが大きい。…

※「宇佐八幡宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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