光徳院(読み)こうとくいん

日本歴史地名大系 「光徳院」の解説

光徳院
こうとくいん

[現在地名]北条市高田 寺谷

慧日山観喜寺光徳院と号し、真言宗本尊阿弥陀如来

寺の由緒によれば嘉元元年(一三〇三)僧尊竜により密護山神護寺護持院として開基された(伊予温故録)。「新編温泉郡誌」によると、後醍醐天皇勅願所となり、盛時には広大な寺領、脇坊一二ヵ寺、末寺五七ヵ寺を数え、一国の総本山とまで称された。「伊予国風早郡地誌」によると、延慶二年(一三〇九)春火災により堂宇を焼失したが、聖観音と無量寿如来は無事、正和二年(一三一三)尊海により再建された。江戸初期の衰退は著しく、火災のためもあって聖観音・無量寿如来は仮小屋安置という状況にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「光徳院」の解説

光徳院 こうとくいん

足利義栄(あしかが-よしひで)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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