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足利義栄 あしかがよしひで

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

足利義栄
あしかがよしひで

[生]天文9(1540).阿波
[没]永禄11(1568).9. 摂津,富田
室町幕府 14代将軍 (在職 1568.2~9.) 。義維の子。初名義親。将軍義輝横死ののち阿波から摂津に移り,永禄 11 (68) 年将軍となる。同年織田信長入京ののちに病没した。

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デジタル大辞泉の解説

あしかが‐よしひで【足利義栄】

[1540~1568]室町幕府第14代将軍。永禄11年(1568)三好氏に迎えられて将軍となったが、同年織田信長義昭を立てて入京したので摂津に逃れ、病没。

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百科事典マイペディアの解説

足利義栄【あしかがよしひで】

室町幕府14代将軍。初名義親。義維の長子として阿波平島(現徳島県阿南市)に生まれ,平島公方,富田(とんだ)公方ともよばれる。1565年松永久秀らの将軍義輝暗殺後,三好三人衆に将軍跡目として擁立された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

足利義栄 あしかが-よしひで

1538-1568 室町幕府14代将軍。在職1568。
天文(てんぶん)7年(一説に9年)生まれ。足利義維(よしつな)の長男。従兄の13代将軍足利義輝(よしてる)が松永久秀らに暗殺されたのち,三好長逸(ながゆき)らに擁立されて永禄11年14代となる。まもなく義輝の弟義昭(よしあき)も織田信長に奉じられて京都にはいったため,阿波(あわ)(徳島県)にのがれ永禄11年9月病死した。31歳。在職7ヵ月。没地に摂津富田(とんだ)(大阪府)説もある。阿波出身。初名は義親。法号は光徳院。

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朝日日本歴史人物事典の解説

足利義栄

没年:永禄11.9(1568)
生年:天文7(1538)
室町幕府第14代将軍。堺公方足利義維の長子。阿波(徳島県)平島荘に生まれる。父義維は三好元長に擁され将軍になろうとして果たさず,代わりに義栄を任官させようと運動。天文20(1551)年3月,将軍足利義輝と三好長慶の仲が悪化したのを奇貨として上洛を図ったが失敗。毛利氏を頼って一時周防に流寓するも,永禄6(1563)年阿波に戻る。同8年5月義輝が暗殺されると三好三人衆に擁され,翌年6月には淡路に進出,篠原長房らの援助で同年末に摂津富田の普門寺に入り従五位下左馬頭に叙任,同11年2月には念願の将軍に任官し「富田の武家」と称された。しかし同年秋の織田信長の上洛で三人衆政権が瓦解するなか,腫物を患い病死した。<参考文献>奥野高広『足利義昭

(今谷明)

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世界大百科事典 第2版の解説

あしかがよしひで【足利義栄】

1538‐68(天文7‐永禄11)
室町幕府14代将軍。号光徳院。初名義親。義維(よしつな)の長子として阿波平島に出生。平島公方,富田公方ともいう。1565年(永禄8)三好三人衆,松永久秀らは将軍義輝のかいらい化に失敗して義輝を暗殺したが,そのとき将軍跡目として嗣立されたのが義栄である。その後三人衆と三好義継・松永久秀の間は確執を生じたが,三人衆筆頭の三好長逸(ながやす)の要請で66年淡路に移り,篠原長房に擁せられて摂津越水城(現,西宮市)に入った。

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大辞林 第三版の解説

あしかがよしひで【足利義栄】

1538~1568) 室町幕府一四代将軍。義澄の孫。松永久秀と対立する三好勢に擁立され、1568年2月将軍となる。同年9月織田信長が義昭を奉じて入洛すると、摂津富田でこれに対決しようとしたが、病死した。富田公方。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

足利義栄
あしかがよしひで
(1538/1540―1568)

室町幕府第14代将軍。阿波(あわ)(徳島県)平島(ひらしま)で出生。堺公方(さかいくぼう)足利義維(よしつな)の子。義晴(よしはる)の甥(おい)にあたる。初名義親(よしちか)。父義維は就位しなかったが、将軍跡目として1527~1532年の間、堺公方と称され、和泉(いずみ)(大阪府)堺に幕府を開いた。義栄は1565年(永禄8)将軍義輝(よしてる)暗殺ののち三好(みよし)三人衆によって将軍跡目にたてられ、摂津越水(こしみず)城に入るが、松永氏と三人衆の内訌(ないこう)のため入京できず、1568年ようやく摂津富田(とんだ)で将軍に任官した。しかし同年9月の織田信長の入京により三人衆政権は瓦解(がかい)し、自身も病死。[今谷 明]

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