児玉秀雄(読み)コダマ ヒデオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「児玉秀雄」の解説

児玉 秀雄
コダマ ヒデオ


肩書
貴院議員(伯爵),内相,文相

生年月日
明治9年7月19日

出生地
山口県

学歴
東京帝大法科大学〔明治33年〕卒

経歴
明治33年大蔵省に入省。40年伯爵。43年〜大正7年、昭和8〜21年貴院議員。明治43年朝鮮総督府設置とともに総務局長、大正5年寺内正毅内閣書記官長、12年賞勲局総裁、関東庁長官、昭和4年朝鮮総督府政務総監、辞任後貴族院研究会で活躍。9年岡田啓介内閣の拓務相、12年林銑十郎内閣の逓信相、15年米内光政内閣の内務相、17年陸軍軍政最高顧問となりジャワ赴任、19年小磯国昭内閣国務相、文相となった。戦後公職追放中に死去

没年月日
昭和22年4月7日

家族
父=児玉 源太郎(陸軍大将・子爵) 弟=児玉 常雄(大日本航空総裁)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「児玉秀雄」の解説

児玉 秀雄
コダマ ヒデオ

大正・昭和期の官僚,政治家 貴院議員(伯爵);内相;文相。



生年
明治9年7月19日(1876年)

没年
昭和22(1947)年4月7日

出生地
山口県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学〔明治33年〕卒

経歴
明治33年大蔵省に入省。40年伯爵。43年〜大正7年、昭和8〜21年貴院議員。明治43年朝鮮総督府設置とともに総務局長、大正5年寺内正毅内閣書記官長、12年賞勲局総裁、関東庁長官、昭和4年朝鮮総督府政務総監、辞任後貴族院研究会で活躍。9年岡田啓介内閣の拓務相、12年林銑十郎内閣の逓信相、15年米内光政内閣の内務相、17年陸軍軍政最高顧問となりジャワ赴任、19年小磯国昭内閣国務相、文相となった。戦後公職追放中に死去。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「児玉秀雄」の解説

児玉秀雄 こだま-ひでお

1876-1947 明治-昭和時代の官僚,政治家。
明治9年7月19日生まれ。児玉源太郎長男。大蔵省をへて,統監府(のち朝鮮総督府)にはいり総務局長,政務総監などをつとめる。この間明治44年貴族院議員。研究会で活躍し,昭和9年岡田内閣の拓務相。のち林内閣の逓信相,米内(よない)内閣の内相,小磯内閣の文相を歴任した。昭和22年4月7日死去。72歳。熊本県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「児玉秀雄」の解説

児玉 秀雄 (こだま ひでお)

生年月日:1876年7月19日
大正時代;昭和時代の官僚;政治家。貴族院議員
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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