日本歴史地名大系 「八ッ柳町」の解説 八ッ柳町やつやなぎちよう 京都市:下京区菊浜学区八ッ柳町下京区加茂川端六軒町上ル下ル東側鴨川沿いの道に東面する片側町。平安京の条坊では、町の西側一部が左京七条四坊四保一六町東南隅と東京極大路上にあたる。平安中期以降は、左女牛東京極大路北の地。町域は平安時代の左大臣源融の別荘河原院(かわらのいん)の一部にあたる(拾芥抄)。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「ヤツヤナキ丁」とみえる。町名は妙法院(みようほういん)(現東山区)門跡領の村落及び耕地であった当町が、宝永三年(一七〇六)町地となった際、近江坂本(さかもと)(現大津市)の浜の地名「八ツ柳」よりとった名で、この八ッ柳は、日吉(ひえ)神社(現大津市)祭礼に際し神輿船の出る所であり佳名であった(坊目誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報