八ッ沢村(読み)やつさわむら

日本歴史地名大系 「八ッ沢村」の解説

八ッ沢村
やつさわむら

[現在地名]上野原町八ッ沢

松留まつどめ村の北西つる川の西岸に位置する。村域は同川支流仲山なかやま(八ッ沢川)の中・下流域を占める。北は大椚おおくぬぎ村。本村西方に仲山、その北側に大椚の各枝郷がある(文化三年「村絵図」都留市蔵)。古くは谷沢と記したという(甲斐国志)。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控にも谷沢村とみえ、高一五二石余。寛文九年(一六六九)の郡内領高辻帳では高一七一石余。寛文年中の山畑並畑検地帳(県立図書館蔵)によるとほかに山畑二町九反余(大豆一石余)・林一町五反余。天保三年(一八三二)の村高七通順列諸留(増田広実氏所蔵文書)では田高二二石余・畑高一四八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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