日本歴史地名大系 「八丁堀北紺屋町」の解説 八丁堀北紺屋町はつちようぼりきたこんやちよう 東京都:中央区旧京橋区地区八丁堀北紺屋町[現在地名]中央区八丁堀(はつちようぼり)二丁目八丁堀亀屋(はつちようぼりかめや)屋敷と長沢(ながさわ)町の北にあり、東は亀島(かめじま)川に面する。文久三年(一八六三)再刻の尾張屋版切絵図によると、八丁堀北紺屋町は六ヵ所に分散し、八丁堀金六(はつちようぼりきんろく)町・水谷(みずたに)町一丁目上ケ地拝領屋敷などと入組んでいる。当地一帯は寛永江戸図では寺地であるが、寛永年間(一六二四―四四)に寺院は浅草方面へ移転し、寛文新板江戸絵図では武家地で溝口内記・同又太郎、島田五郎兵衛らの屋敷になっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by