20世紀日本人名事典 「八木保太郎」の解説
八木 保太郎
ヤギ ヤスタロウ
昭和期のシナリオライター
- 生年
- 明治36(1903)年2月3日
- 没年
- 昭和62(1987)年9月8日
- 出生地
- 群馬県群馬郡京ケ島村萩原(現・高崎市萩原町)
- 学歴〔年〕
- 日本映画俳優学校〔大正14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 年間代表シナリオ(昭25年 27年 28年 30年 32年 34年 39年 44年度),溝口賞(第1回)〔昭和32年〕「米」,毎日映画コンクール特別賞(昭62年度)
- 経歴
- 大正15年日活に監督助手として入社。のち脚本部に転じシナリオ作家となる。第1作は昭和5年の田坂具隆監督「この母を見よ」。昭和10年代前半は内田吐夢監督の「人生劇場」、豊田四郎監督の「小島の春」など文学映画を担当。その後東宝を経て、17年から20年まで満映製作部長。戦後も創作活動を続け、代表作に山本薩夫監督「人間の壁」、今井正監督「山びこ学校」などがある。平成2年映画殿堂入り。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報