朝日日本歴史人物事典 「八木美穂」の解説
八木美穂
生年:寛政12.7(1800)
幕末期の国学者。遠江国城東郡浜野村(静岡県大東町)大庄屋で国学者の八木美庸の長男。幼名は林之助,のち金兵衛,太郎左衛門。号中谷,中林,誦習庵。和漢仏の学を広く修め,20歳ごろ同国白須賀に宣長古学の夏目甕麿の門に入った。弘化2(1845)年,横須賀藩(静岡県大須賀町)藩主に士分に取り立てられ,歌道および和漢学侍講。嘉永3(1850)年横須賀学問所教授長。『万葉集略解補闕』(2巻)など上代歌学の考証,「日本書紀」や「古事記」の研究,横須賀の地誌『郷里雑記』など歴史地理の著書をも残している。幕末遠江における宣長古学派の一拠点として,多くの門人を抱え,維新期の遠州報国隊結成にも影響をおよぼした。<参考文献>小山正『幕末国学者八木美穂伝』
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報