八潮市(読み)ヤシオシ

デジタル大辞泉 「八潮市」の意味・読み・例文・類語

やしお‐し〔やしほ‐〕【八潮市】

八潮

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日本歴史地名大系 「八潮市」の解説

八潮市
やしおし

面積:一八・一二平方キロ(境界未定)

県の南東端に位置し、北から西にかけてはほぼ綾瀬川を境にして草加市、東はほぼなか川を境に三郷みさと市、南は大場おおば川を境に東京都葛飾区、がけ川を境に同足立区と接する。中川低地の中ほどの中川および綾瀬川の沖積地に位置し、標高は一―三メートルで、花瓶形の市域を形成している。市域のほぼ中央を南北に葛西かさい用水八条はちじよう用水が南流し、葛西用水は市域南部で八条用水を合流したのち垳川に注いでいるが、当市はこれらの用水や各河川の堤防に囲まれた輪中地域となっている。道路は南部を首都高速六号三郷線・主要地方道松戸―草加線、北部を東京外郭環状道路などが走る。

〔原始・古代〕

旧石器時代には海が海退し、現八潮市の地下六〇メートルが海岸線で、八潮市立資料館建設の折に採集された地下四八メートルの腐食物は炭素年代測定で一万一千四〇〇年代前のものと測定された。表土の腐食土は炭素年代測定によってほぼ二千年前の測定値が出ており、弥生時代初期頃にすでに海は市域から海退していたと推定される。柳之宮やなぎのみや時代から西袋の古綾瀬にしぶくろのふるあやせ川の自然堤防上に、弥生時代末から平安初期にかけての遺跡が分布する。柳之宮・西袋氷川神社遺跡からは弥生末から古墳初期にかけての東海系の様式をもつS字状口縁土器が採集され、五領式土器や和泉式土器等が混在する集落跡と推定されている。柳之宮の東端からは平安初期(炭素年代九三五年頃)の両頭の竪杵(八潮市立資料館蔵)が出土。中川自然堤防上の八条の和井田家屋敷および清蔵せいぞう院跡・会田家屋敷等からは須恵器片が表面採集され、古代の集落跡とみられている。これらのS字状口縁土器や古式須恵器などの外来系土器は中川低地に広く分布し、八潮地域が利根川(現中川)・綾瀬川等の河口に位置した舟運の基地として利用されたことを物語る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八潮市」の意味・わかりやすい解説

八潮〔市〕
やしお

埼玉県南東部,南は東京都に接し,中川綾瀬川にはさまれた沖積低地にある市。 1956年八幡 (やはた) ,潮止 (しおどめ) の2村と八条 (はちじょう) 村の大部分が合体して八潮村となり,64年町制ののち,72年市制。第2次世界大戦前まで米作を主とし,レンコン,ネギなどの近郊農業が盛んな地域であった。戦後になって八潮団地をはじめ住宅の進出が著しく,また草加・八潮工業団地も造成されて,織物染色,機械,金属,木工などの工場が進出し,都市化が著しい。面積 18.02km2。人口 9万3363(2020)。

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