日本歴史地名大系 「弘岡井筋」の解説
弘岡井筋
ひろおかゆすじ
慶安元年(一六四八)より五ヵ年を費やして築造されたが、兼山の指揮のもとに普請奉行は一木権兵衛が務めた(南路志)。工事中、最大の難個所は弘岡上ノ村の開険岩
引
通二淀川流
、其間二十丈許入地深十丈許、自
慶安元年
至
承応元年
畢、功俗謂
之曰
行当切貫
」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶安元年(一六四八)より五ヵ年を費やして築造されたが、兼山の指揮のもとに普請奉行は一木権兵衛が務めた(南路志)。工事中、最大の難個所は弘岡上ノ村の開険岩
引
通二淀川流
、其間二十丈許入地深十丈許、自
慶安元年
至
承応元年
畢、功俗謂
之曰
行当切貫
」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…吉良氏は周防山口から南村梅軒を迎えてその講学を聴いたといい,南学(海南朱子学)発祥の地と伝えられる。江戸初期,野中兼山によって仁淀川東岸に4里に及ぶ弘岡井筋が築かれ,高知城下への物資輸送と吾川郡南部の灌漑に大きく機能,弘岡平野を土佐屈指の農業地帯とした。気候にも恵まれて早くから施設園芸も盛んで,キュウリ,ナス,メロンなどを産し,西畑(さいばた)の河原スイカや秋山大根,弘岡カブなどがよく知られる。…
※「弘岡井筋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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