日本歴史地名大系 「八知村」の解説 八知村やちむら 三重県:一志郡美杉村八知村[現在地名]美杉村八知雲出(くもず)川上流域谷平野にあり、上流より老(おへ)ヶ野(の)川、比河(ひこ)川、神河(このご)川、蛇谷(じやたに)川がそれぞれ西部の大洞(おおぼら)山地から流下して雲出川に合流し平地を形成する。北東は竹原(たけはら)村、南は奥津(おきつ)村、東は高所(たかんじよ)山(七七二メートル)の尾根で下(しも)ノ川(がわ)村、西は大洞山(九八五メートル)で太郎生(たろお)村と接する。鎌倉時代延応元年(一二三九)の地蔵菩薩像胎内奉納物(奈良県大宇陀町大蔵寺蔵)に「八智郷造立 仏所僧長信 (塗)所三条高倉 延応元年九月(廿八カ)日」とあり、応永一二年(一四〇五)の宇気比神社(現嬉野町)の棟札銘文(「一志郡史」所収)にも八智とみえ、同社の造営にあたった大工に八智之掃部尉源光行とあり、八智掃部太郎・同二郎の名も記されている。同社棟札永享一二年(一四四〇)の分にも大工八知エリ太郎・掃部尉源之景行・同兵衛二郎・同六郎とあり、八智に住んだかまたは八智姓の宮大工一族と推測される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by