八色木村(読み)やいろぎむら

日本歴史地名大系 「八色木村」の解説

八色木村
やいろぎむら

[現在地名]藤島町八色木

落野目おちのめ村の東に位置し、東は小中島こなかじま村、南西を藤島川が北流する。当初は字西村にしむらと南表の俗称鍛冶屋敷かじやしきの辺りに村があったが、藤島川の氾濫により南野前みなみのまえという現在地に移ったとみられる(藤島町史)。当初庄内藩領であったが、慶安二年(一六四九)より松山藩領となり、幕末に至る。川南組に属する。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一二八石余。寛永元年庄内高辻帳では高五七七石余。正保郷帳では田方五五九石余・畑方一三五石余。元禄一五年(一七〇二)検地帳では、名請人数は村内六九、入作一八(十文字村一六・落野目村二)であった(藤島町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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