八谷搦(読み)はちやがらみ

日本歴史地名大系 「八谷搦」の解説

八谷搦
はちやがらみ

[現在地名]伊万里二里町にりちよう八谷搦

伊万里湾岸最大の干拓地で、面積約一六〇町歩、安永年間(一七七二―八一)に八谷善兵衛が奉行して築立。民間の資本を主とする開発で、銀主は永代地主となることが許された。佐賀藩内では唯一といってよい商業資本の蓄積された伊万里だからこそ、この干拓が成立したといえる。天保郷帳には記載されず、明治初年行政単位となる。

四キロに及ぶ堤防を築き、笹尾ささのお搦尻から金比羅こんぴら社のある戸渡島ととしま方向に流れていた有田川の河道を変更し、大里川に合流させ現在の流路にした。完工までの経過を「安永三年午ヨリ寛(カ)□□□伊万里有田八谷□□□壱番前」(藤山家蔵文書)によって列挙すると左のとおりである。

安永三年四月新搦方役人の八谷善兵衛から「永代地主」「拾ケ年余無米」を保証して出資を勧誘。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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