日本歴史地名大系 「八重田村」の解説 八重田村やえだむら 青森県:青森市八重田村[現在地名]青森市八重田陸奥湾岸、作道(つくりみち)村の東にある。原別(はらべつ)村居住の斎藤武兵衛が、享保七年(一七二二)に海老沼(えびぬま)・作道・小柳(こやなぎ)・戸山(とやま)・貝久保(かいくぼ)・戸崎(とざき)・原別・矢田(やだ)の八ヵ村の永荒萢地七五町歩の開墾許可を得、掘替(ほりかえ)川を開削して成立したという(青森市史)。村の東端を流れる掘替川は、現在も武兵衛(ぶへえ)川とよばれる。村名は前記八ヵ村の捨地を美田としたので、元文元年(一七三六)名付けられ、その後も武兵衛の子安之助によって開墾が続けられた(青森市町内盛衰記)。 八重田村やえだむら 三重県:松阪市八重田村[現在地名]松阪市八重田町・日丘(ひおか)町殿(との)村の西、藤(ふじ)ノ木(き)村の北にあり、村域内を堀坂(ほつさか)川が流れる。近世は和歌山藩松坂領。文化七年(一八一〇)の新田検地帳(徳川林政史蔵)が残る。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)によれば家数九一、人数三八九。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報