公家新制(読み)くげしんせい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

公家新制
くげしんせい

「こうげしんせい」とも読まれる。平安時代中期以降,鎌倉時代末期にいたる間において,朝廷が発令した成文法。その発布の様式は,宣旨,院宣太政官符など多種類であるが,その大多数は,十数条,あるいは数十条に及ぶ大部な法規集である。また,当時において,すでに「新制」,または「新制何個条」と特定して呼称されている。新制の嚆矢について諸説あるが,村上天皇天暦1 (947) 年の太政官符とする説が有力である。さらにその終りは,光厳天皇正慶1 (後醍醐天皇元弘2) (1332) 年の院宣と考えられ,その間発令された回数は 60回に及んでいる。新制の内容としては,禁色などと称される六位以下の下級官人の衣服その他の奢侈を戒めたものが最も多い。しかし,なかには,地方政治の刷新,荘園の整理,訴訟手続の改訂などの内容を有する条規も見出され,政治史,ならびに法制史上重要な意義をもつ。

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世界大百科事典内の公家新制の言及

【公家法】より

…同書は全177条から成り,その法規は刑事,民事(所有権・相続・婚姻・奴婢・売買貸借等),諸種の禁制等にわたるが,これらの法規は,当時の裁判の中で規範的機能を有した。さらに,12世紀後半に相ついで公布された公家新制は,内容上朝儀振興,過差(かさ)禁制,荘園整理などに主眼があり,官僚制の再編,土地領有権の政策的確定などの機能を有した。中世初期の公家法は,この公家新制と《法曹至要抄》との有機的連関としてとらえられる。…

【新制】より

…南北朝初期にも1例を数える。本来,新制とは天皇・院の発布したものをさしたが,鎌倉期に入って幕府が発布した同種の法令を武家新制(また関東新制)と称するようになると,天皇・院の発布した新制を公家(くげ)新制と称するようになり,このほか家中(けちゆう)新制,寺辺(じへん)新制などもあらわれた。 まず,公家新制についてみると,公家新制は10世紀中葉を初見とし,発布形式は,初期には太政官符,のち宣旨・官宣旨が一般的となり,鎌倉末期に至って院宣が通例となった。…

※「公家新制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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