日本歴史地名大系 「公津新田村」の解説 公津新田村こうづしんでんむら 千葉県:成田市公津新田村[現在地名]成田市米野(よねの)・赤坂(あかさか)一―二丁目・中台(なかだい)一―四丁目・加良部(からべ)一丁目・同六丁目・玉造(たまつくり)六丁目山口(やまぐち)村の南に位置する。村名は公津村の原野を開発したことによる。公津村は承応二年(一六五三)に台方(だいかた)村など五村に分村するので、開発の発端はそれ以前になる。明暦年間(一六五五―五八)の新田開発により成立。印旛(いんば)郡に属し、佐倉藩領。万治三年(一六六〇)の地詰帳(米野区有文書)では高六七石余、以後変わらず。ほか享保一二年(一七二七)に佐倉七牧のうち内野(うちの)牧に当村など六ヵ村で飯田(いいだ)新田を成立させたが、そのうち当村分二〇石余(無民家)があり、幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報