六ヶ郷堰(読み)ろつかごうせぎ

日本歴史地名大系 「六ヶ郷堰」の解説

六ヶ郷堰
ろつかごうせぎ

水口を現上田市域半過(はんが)の千曲川にもち、村上(むらかみ)郷内網掛(あみかけ)・上平(うわだいら)・五明(ごみよう)・力石(ちからいし)・新山(にいやま)・上山田(かみやまだ)六ヵ村を灌漑し現上山田温泉街を横切って荒砥沢(あらとざわ)に合し千曲川に入る。全長八・七キロ、灌漑段別三〇八ヘクタール。

堰の起源は堰筋に残る条里的地名などから古代にさかのぼると思われるが、つまびらかでない。永禄一〇年(一五六七)武田信玄は「別而被致奉公間村上庄内其方知行分之堰役上役合四拾参俵御赦免候畢」との朱印状(大須賀文書)をもって村上郷の大須賀佐渡守に村上庄内の堰役を免除している。また、天正一九年(一五九一)の「庄内新山村検地定年貢之事」(波閇科神社文書)には「右之外四拾仁俵壱斗三升 堰役」とあって、六ヶ郷堰新山村堰役の分担は四二俵であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報