日本歴史地名大系 「六丁目村」の解説 六丁目村ろくちようめむら 広島県:広島市中区六丁目村[現在地名]中区大手(おおて)町三―五丁目東は西堂(せいとう)川を挟んで国泰寺(こくたいじ)村に、西は元安(もとやす)川を隔てて水主(かこ)町・水主町新開に、北は白神(しらかみ)六丁目に接し、南は海。新開組に属し、白神六丁目の南にあることから村名が付けられた(知新集)。元禄一二年(一六九九)に地詰が行われ、「芸藩通志」に四町一反余、高六四・九六五石、明治三年(一八七〇)の郷村帳(「芸藩志拾遺」所収)の高は六五・三四四石、うち除地〇・四二八石。戸口は「知新集」に家数一四三、竈数三三〇(本竈一四三・借竈一八七)、人数一千一八八(男六三三・女五五五)、うち社人・修験者・虚無僧各一人、本道医および職人七人と人口の多い新開の一つであった。 六丁目村ろくちようのめむら 宮城県:仙台市旧宮城郡地区六丁目村[現在地名]仙台市六丁目・扇町(おうぎまち)三―四丁目・六丁の目北町(ろくちようのめきたまち)・六丁の目中町(ろくちようのめなかまち)・六丁の目西町(ろくちようのめにしまち)・六丁の目東町(ろくちようのめひがしまち)・六丁の目南町(ろくちようのめみなみまち)・卸町東(おろしまちひがし)一―五丁目・鶴代町(つるしろまち)伊在(いざい)村の北および北東にある。正保郷帳に田二八貫二四二文・畑八四〇文とあり、ほかに新田五四貫三二六文。「封内風土記」に戸数二九とある。幕末と思われる村毎貫高付(斎藤報恩会蔵)では一五一貫三二五文とあり、著しい新田開発が行われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by