日本歴史地名大系 「六反田名」の解説 六反田名ろくたんだみよう 長崎県:南高来郡加津佐町加津佐村六反田名[現在地名]加津佐町六反田名加津佐村の東部、水下津(すいげつ)名の北東に位置する。東部に鳳上(ほうじよう)岳がある。地内は六田(ろくだ)・登竜(とうりゆう)・山口(やまぐち)・蓮岳(はすだけ)のほか、鉄屑などが残る鍛冶屋敷(かじやしき)などがある。正平二一年(一三六六)一二月九日の大智譲状(広福寺文書)に「山口」「中原」とみえ、肥後広福(こうふく)寺(現熊本県玉名市)の開基である大智が賀津佐円通(かづさえんつう)寺や田地を禅古に譲ったが、賀津佐村の田のうち山口二丁などは譲与の対象外とされている。中世の城跡があり、城主は越中氏という。六田の大屋敷名は古い居館の跡と推定され、その付近に加津佐コレジオがあったとされ、遺構は明らかではないが、日本最初の活字印刷版「サントスの御作業のうち抜書」が印刷されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by