六家村(読み)ろつけむら

日本歴史地名大系 「六家村」の解説

六家村
ろつけむら

[現在地名]高岡市六家

祖父そふ川左岸に位置し、北は福田六家ふくたろつけ村、東は石塚いしづか村、西は内島うちじま村。北陸街道が通る。草分百姓が六軒あったことが村名の起りとされる。元和五年(一六一九)の家高新帳では中保村組に属して村名がみえ、役家数一三。正保郷帳では高三九六石余、田方二五町四反余・畑方一町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印による草高四三二石・免五ツ。同六年の新田高八石(三箇国高物成帳)。延宝四年(一六七六)の役家数二三、肝煎は久右衛門(「礪波郡村肝煎給米図り帳」川合家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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